読書ノート「日本画の歴史」(近代篇)(現代篇)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

草薙奈津子 著 中公新書2513・2514 2018年11月25日発行

 カラー版の新書です。内容は著者が一般市民を対象に平塚市美術館で行った館長講座に数章を加筆したもの。読みやすい本でした。新書化するにあたり(近代篇)「第二章 幕末・明治の浮世絵」や(現代篇)「第六章 女性画家の台頭と活躍」など数章を加筆しており、浮世絵や女性作家に多く言及しているのが特色です。このうち(近代篇)第二章は以下のように始まります。

(浮世絵は)明治時代になっても庶民の間では根強い人気がありました。むしろ技術的には江戸期より明治の浮世絵のほうが優れていたといわれます。(略)作者としては歌川貞秀、落合芳幾、三代歌川広重、月岡芳年、揚州周延、豊原国周など。そして西洋絵画を意識した光線画を生んだ小林清親もいます。

また、(近代篇)第二章は月岡芳年について以下のとおり紹介しています。

月岡(大蘇)芳年 最後の浮世絵師 ― 1839~92
江戸末に活躍した歌川国芳の門からは多くの浮世絵師が輩出しました。その中で特筆すべきは月岡芳年と河鍋暁斎です。河鍋暁斎は狩野派の絵師でもありますから、他の章で述べたいと思います。芳年は明治期の浮世絵師としてよく知られています。しかも国芳の師風をよく受け継ぎ、それを発展させていきました。(略)芳年の師歌川国芳(1797~1861)は江戸末を代表する浮世絵師です。奇想の画家ともいわれ、今、とても人気があります。(略)芳年の絵が“ちみどろ絵”といって評判となるのは1866年です。同門の落合芳幾との合作《英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)》を発表してからです。(略)幕末には残酷な場面が歌舞伎や講談でも表現されていましたから“ちみどろ絵”は芳年ただ一人の傾向というよりも、残酷趣味を求める当時の大衆の風潮であり、時代の好みだったといえそうです。(略)明治に入ると狩野派の画家ばかりでなく、浮世絵師たちも生活に困窮しました。芳年もそうだったようで、作品数が極端に減っています。(略)挙句、1872年には強度の神経衰弱にかかってしまったのです。しかし翌年には回復したのでしょう。大いによみがえるという意味の“大蘇”と号するようになりました。75年になると作画活動も安定を迎え、錦絵新聞、美人絵、そして戦争画に取り組んでいます。錦絵新聞の先駆けは74年の『東京日日新聞』でした。挿絵を担当したのは芳年の兄弟子落合芳幾です。芳幾と芳年は兄弟弟子であると同時にライバルでもあったのです。芳幾の成功にあやかろうと、芳年は75年『郵便報知新聞』の挿絵を手掛けました。(略)1877年には《西郷隆盛切腹図》を描いています。1882年には絵入り自由新聞に月給100円という破格の高給で雇われていますから、芳年の挿絵の人気ぶりが推し量られます。(略)明治10年代後半から晩年にかけて、芳年は江戸時代に回帰したとも評されます。まさに“最後の浮世絵師”といわれる所以です。(略)しかし浮世絵の人気も1887(明治20)年になると陰りがみられるようになり、明治30年代には加速度的に出版点数が減っていきました。写真に取って代わられたのです。しかし芳年の門からは、その後の日本画を担う作家たちが続々と出てきました。例えば、水野年方、鏑木清方、池田輝方・蕉園夫妻、伊東深水らは、自ら歌川派を継ぐ物といってはばかりませんでした。その意味でも、月岡芳年は、まさに幕末から明治という時代を代表する画家の一人なのです。

この記述に関連して、(近代篇)「第七章 官展の歩み - 東京画壇・京都画壇」のなかの「松園・清方・深水に代表される美人画家たち」という項目に以下の記述があります。

深水は松園、清方、そして自分自身を次のようになぞらえています。「清方先生はやはり(鈴木)春信だと思う。色彩画家であり美しい夢を非常にもっている。そうしてなんか清潔な感じがする。松園先生は非常に本格的な技術を身に付けているのですね。そうして非常に気品があるということね。ほかの浮世絵画家にはない品格がある。これは(勝川)春草ですよ、春草に該当する人です。(鳥居)清長は傾向としては私なんです。というのは非常にリアルで割合に均衡がとれて、すこし常識的であり、そうして非常にエネルギッシュであるということ」(『三彩』1956年7月)実に言い得て妙です。

 女性画家については(現代篇)「第一章 昭和戦前期の日本画」で以下のとおり小倉遊亀を紹介しています。

小倉遊亀 崇高な精神と温かみのある人間性 ― 1895~2000
 滋賀県大津に生まれた遊亀は、戦前、関西の優秀な女性に唯一開かれていた奈良女子高等師範学校に学び、首席で卒業しています。(略)遊亀はそこを卒業すると、京都や名古屋で先生をしながら絵の勉強を続け、横浜の捜真女学校の講師時代、誰の紹介もなく安田靫彦に会いに行ったのです。(略)遊亀は安田靫彦という新古典主義を代表する画家に学んでいますから、その作品は線描を主としたものがほとんどです。特に戦前の作品にはそのことがいえます。それにもかかわらず、遊亀の作品には多少の歪みが感じられるのです。遊亀自身は次のように語っています。「描いていくうちにね、そこの形をどうしても歪めていかないと落着かないんです。ですから歪めてしまうんです。そうすると落ち着くんですねえ。……近代的な感覚じゃないですね、あれは。その絵を落着かせる、形のうえの、自分勝手な……自分が美しいと思った形です」。(略)遊亀の作品に指摘されるデフォルメは、東京藝術大学美術館の古田亮なども指摘するようにマチスの影響といわれます。(略)しかしそれだけではないような気もします。日本画の装飾性を遊亀なりに考えて生まれたのではないでしょうか。日本画を学ぶ段階で得た装飾に対する親しみが、マチスの作品を見たときに遊亀の心に感応したのではないかと、私は思っています。(略)マチスなどを学んでいるという意味で、遊亀の作品は理知的というべきかもしれません。しかし実際彼女の作品を目の前にすると、理知的というよりも、温かく人を包み込むような包容力と優しさを感じます。伝統的に日本美術院の作家に顕著なのが、絵画に精神性をもたせるということです。(略)遊亀には高く深く崇高な精神と同時に、優しく温かみのある人間性が見られるのです。

 (現代篇)「第六章 女性画家の台頭と活躍」は最初に秋野不矩を取り上げています。内容は以下のとおりです。

秋野不矩 強い意志 悠然たる気分 - 1908~2001
(略)彼女の本領が発揮されるのは戦後、1948年に仲間と創造美術を結成してからです。息子たちをモデルに描いた《少年群像》(1950年)の裸像の少年らの初々しさ、群像としての構図の取り方、色彩や描法の大胆さなど、戦前作品の細い描線はなくなり、もっと大らかで自由で、我が道を行く泰然とした姿勢が感じられ、その後の不矩の歩みを示唆しているのです。この作品によって第一回上村松園賞を受賞したのでした。上村松園賞とは松園没後の1950年に設けられた賞で、精力的に活躍する実力派女性画家を対象とするものでした。第二回から五回(最終回)までに、小倉遊亀、広田多津、堀文子、朝倉摂が受賞しています。1962年54歳の時、秋野不矩は突然インドに行きました。不矩が教鞭をとっていた京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)の同僚教授、佐和隆研の「日本画の先生でインドに行ってくれる人はありませんか」という一言に乗ったのです。(略)秋野不矩のインドに取材する作品を、私はすべて好きです。そこには深く、大きく、計り知れないインドの大地にそそぐ不矩の愛が感じられるからです。それが秋野不矩の哲学なのだと思います。

◆協力会ミニツアーについて
 平成31年3月24日(日)午後2時から、名古屋市博物館「挑む浮世絵 国芳から芳年展」鑑賞ミニツアーを開催するとの案内がありました。集合は博物館1階。展示説明室で神谷浩・博物館副館長の解説を聴いた後、自由観覧となります。(詳細は、協力会ホームページをご覧ください)
 歌川国芳は「今、とても人気の浮世絵師です」が、上記の「日本画の歴史」によれば弟子の月岡芳年も「まさに幕末から明治という時代を代表する画家の一人」です。「挑む浮世絵 国芳から芳年展」は国芳の個性が芳年を始めとする弟子たちに継承され、変化していくさまを間近で鑑賞できるまたとない機会だと思います。

◆協力会・春の美術館見学ツアーについて
 詳細は未定ですが見学先は、①浜松市美術館「浜松市美術館リニューアル1周年記念 没後70年上村松園展」、②静岡市美術館「小倉遊亀と院展の画家たち(滋賀県立近代美術館所蔵品による)」、③静岡近代美術館・所蔵品展に決まったとの案内がありました。
①について:平成25年に名古屋市美術館で開催された「上村松園展」は素晴らしかったですね。再び上村松園の作品に出合うのが楽しみです。今回は、上記の「日本画の歴史」が取り上げた秋野不矩始め上村松園賞受賞作家の作品も併せて展示されるようです。
②について:「院展の画家」は上記「日本画の歴史」(近代篇)でも多くのページを割いて紹介しています。展覧会の中心となる小倉遊亀については「宗達を敬慕すると同時にマティスやピカソにも刺激を受ける彼女の画業」(山本香瑞子・静岡市美術館学芸員=「美術の窓」2019年1月号より)を是非とも鑑賞したいですね。
③について:「芸術新潮」2019年1月号に「静岡市葵区にある静岡近代美術館。ここは徳川十五代将軍慶喜公の住まいがあった場所で、駿府城公園や静岡浅間神社にもほど近い。閑静な住宅街に囲まれて立ち、2016年に開館した時は知る人ぞ知る「隠れ家的」美術館だったが、近頃その収蔵品の質の高さが密かに話題を呼んでいる。(以下、略)」という紹介記事が載っていました。どんな作品が鑑賞できるか、楽しみですね。
Ron.

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