卒展、修了展 (名古屋芸大)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

「Inferno」藤原 葵

 今年も近隣の卒展、修了展を見に行った。よく晴れた風の強い日だった。最寄りの駅からシャトルバスで10分ほどで会場に到着。総合案内で簡単な説明を受け、時計回りに展示を見始めた。

 アート&デザインセンターで展示されていたのは、地色の赤と中央部のレモンイエローが印象的な巨大な作品(2.59m x 5.82m)。描かれているのは爆発シーン。見ていると音まで聞こえて来そうな迫力で、よく見ると、写真のように停止した一瞬ではなく、コマ送りの画面を重ね合わせたように前後左右に躍動感のある画面構成になっている。

会場にて「inferno」

会場にて「inferno」

 爆発する芸術を見るのは初めてではないが、それにしても、中央部のレモンイエローの明るさと、前後に弾けるような緑色の帯の躍動感でめまいがしてきそうだ。その後、展示室にいた作家に話を聞いておもしろかったのは作品の移動に関するエピソード。作品サイズが大きいので、移動にはとても気を使うそうで、風のない晴れた日しか移動できないらしい。今日のように風が強いと、作品がヨットの帆布のようになり、室内から出た途端、運び手を柱や壁に打ち付けてしまうそうだ。

 穏やかに晴れた風のない昼下がり、芸大の中庭の芝生の上で、この作品を運ぶ情景を想像すると、凶暴な爆発シーンとのミスマッチにユーモアを感じた。刺激的な展示だった。

名古屋芸術大学卒業・修了展
2019年3月3日まで

杉山 博之

展覧会見てある記 「美術のみかた自由自在」

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今回の展覧会は、碧南市藤井達吉現代美術館の北川智昭・特別主任学芸員(以下「北川さん」)から教えていただいたものです。先日参加した、協力会の「佐藤玄々展」ミニツアーで、北川さんが玄々のデビュー作《永遠の道(問答)》の解説をするときに豊橋市美術博物館で開催中の国立国際美術館コレクション展「美術のみかた自由自在」(以下「本展」)のチラシを使ったのです。チラシの表面に刷られたロレッタ・ラックス《アイルランドの少女》の実物が見たくなり、本展に行ってきました。
◆目的の作品は
目的の作品は第2章「表層と深層」(特別展示室)に展示されていました。実物は38cm×42㎝で、チラシの約2.5倍の寸法。解説によれば、撮影した写真をコンピューターのモニター上でデジタル合成して制作したものです。北川さんが解説されたとおり、二人の少女は「何を見ているかわからない」という表情です。人工的すぎるのか、二人の少女はどちらも「現実感が無い」という不思議な作品でした。
◆外に気になった作品は
第2展示室(第1章「イメージと物質」)の床に段ボールが無造作に置かれていたので何かなと思ってみていたら、独り言を話し始めました。島袋道浩《箱に生まれて》は箱の中に誰かが入っているように感じる作品です。
これも第2展示室ですが、ゲルハルト・リヒター《フィレンツェ》が4点展示されています。作家がフィレンツェの風景を撮影した写真にカラフルな油絵具を塗り重ねた12㎝×12㎝の小さな作品です。地の写真は4点とも同じですが、油絵具の彩色は1点1点異なります。見ていると、地の写真のイメージと油絵具のイメージが交互に入れ替わるような感覚を受けます。
第3展示室(第2章「表層と深層」)には、有名なアンディー・ウォーホル《版画集『マリリン』》から4点が展示されています。名古屋市美術館で開催中の「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」にも男性のボクサーの写真をもとにしたシルクスクリーンの作品が展示されていました。ウォーホルの影響はとても大きかったのですね。
展示室出口のテレビモニターで上映している15分のヴィデオ作品=アラヤー・ラートチャムルーンスック《ミレーの《落ち穂拾い》とタイの農民たち》は《落ち穂拾い》を見ている農民のおしゃべりを撮ったものです。日本語訳した字幕は「どんな虫をさがしているの」「奥のわらが崩れたら大変」「この人たち、背が高くてやせていてうらやましい」などという内容。クスッと笑ってしまいました。「ふたつの惑星」というシリーズの一つですが「農民のおしゃべりと自分のブログは大差ないな」と思いました。
◆最後に
 帰りに見たら、豊橋市美術博物館の入り口に「天皇陛下御在位三十年を記念する慶祝事業の一環として2月24日(日)に『美術のみかた自由自在』を無料開放します」という貼紙がありました。豊橋市は太っ腹ですね。なお、会期は3月24日まで。
         Ron.

展覧会見てある記 「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

現在、名古屋市美術館(以下「市美」)で「辰野登恵子 ON RARERS:A Retrospective 1969-2012」(以下「本展」)を3月31日までの会期で開催しています。英語の副題のとおり、画家・辰野登恵子(1950~2014)の40年余の道筋をたどる回顧展です。
辰野登恵子は本展のチラシや新聞・雑誌の記事で初めて知った作家ですが、「豊麗な色彩と力強い形態の抽象表現で、現代絵画のトップランナーとして活躍した作家である」と、日本経済新聞(以下「日経新聞」)の展覧会評(2018.11.28)が誉めていたので、本展が市美に巡回するのを心待ちにしていました。
先日、本展を見てきましたので展覧会の構成、感じたことなどを書いてみます。

◆日経新聞の誉め言葉はウソじゃなかった
本展の内容は期待以上のものでした。展覧会は年代順に「Ⅰ」から「Ⅷ」までの8章で構成され、入口のある2階にⅠからⅣを、1階にⅤ・Ⅵ・Ⅷを、地下1階にⅦを展示しています。章が変わるたびに作風が変化し、日経新聞の「豊麗な色彩と力強い形態の抽象表現」という言葉どおりのⅥ以降も、さらに作風の変化が続いていることに驚きました。今後も作風の変化を見せてくれると思われるだけに、作家が64歳で急逝したことは返す返す惜しまれます。
作風の変化を文章で表現しようと思ったのですが、残念ながら力不足で書けません。本展にお越しいただき、展示室でご覧くださるようお願いいたします。

◆展示室の壁に作家の文章・言葉(解説は出品リストに)
 本展では展示室に解説がなく、そのかわりに作家の文章・言葉が書かれており、作家と対話しながら鑑賞しているような気持ちになります。
なかでも、Ⅰの“筆で描く時の「もたもた感」がすごくいやだった。とにかく版画という手段、特に写真製版というのは、全面的というわけじゃないけど、ある程度はその手垢のようなものを消すことができるから”という文章が印象的でした。「“「もたもた感」がすごくいやだった”ってどういうこと?写真製版に求めたのはサクサク感?スマートな表現?」などと、あれこれ考えながら作品を見ていきました。
 なお、本展の解説は出品リストに書いてあります。各章ごとに解説が付いた8ページもある立派なもので、鑑賞の手助けをしてくれます。

◆最後に
 「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」の協力会会員向けギャラリートークが、3月3日(日)午後5時から開催されます。講師は名古屋市美術館の清家学芸員で、市美2階講堂に集合という案内が届きました。
ご覧のブログサイトから申し込みできます。参加しませんか。
         Ron.

「佐藤玄々展」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

今回の目的地は碧南市藤井達吉現代美術館でした。参加者17名で、現在開催中の碧南市制70周年記念事業 開館10周年記念「生誕130年 佐藤玄々(朝山)展」(以下「本展」)を鑑賞しました。展覧会の案内は特別主任学芸員の北川智昭さん(以下「北川さん」)。ギャラリートーク形式の解説を聴いた後は自由観覧で、楽しいひと時を過ごすことができました。北川さん、ありがとうございました。以下は、北川さんによるギャラリートークの概要で(注)は私の補足です。

解説してくださった特別主任学芸員の北川智昭さん、ありがとうございます

解説してくださった特別主任学芸員の北川智昭さん、ありがとうございます


◆佐藤玄々について
江戸時代まで、わが国に「彫刻」という言葉はありませんでした。「彫刻」という言葉は西洋から近代彫刻が紹介された後、明治30年代から使われるようになった言葉です。近代日本の彫刻家としては高村光雲(1852-1934)や平櫛田中(ひらくしでんちゅう:1872-1979)が有名ですが、佐藤玄々(1888-1963)は平櫛田中の10歳ほど年下。「彫刻」という言葉が使われるようになってからの作家で、日本美術院・彫塑部の最初のメンバーです。
佐藤玄々は「日本精神を重視する」という日本美術院の方針に忠実にやろうとした人です。「日本精神」といえば神道ですが、神道では神の姿はみえないものであり、「神の像」はありませんでした。(注:北川さんの言葉どおり、神社には「神さま」ではなく、神が宿る「依り代」(よりしろ)=鏡・玉・剣・神木などを祀っていることが多いですね)佐藤玄々は「ご神体」を作ろうとした人で、日本橋三越本店にある個性的な作品《天女(まごころ)像》も「ご神体」です。
佐藤玄々は1922年(大正11)から約2年間、フランスに留学。その後、東京にアトリエを構えて多くの作品を制作しましたが、空襲でアトリエ・作品ともに焼失。戦後は京都・妙心寺の塔頭にアトリエを構えて作品を制作。亡くなったのも京都です。

◆佐藤玄々のデビュー作《永遠の道(問答)》について(Ⅱ.大正期 留学まで)
一本の木から彫り出した佐藤玄々のデビュー作《永遠の道(問答)》は不思議な作品です。座っている釈迦が立ち姿の婆羅門と対面しているというものですが、二人が異常に接近しています。(注:釈迦の右脚と婆羅門の左足との隙間は紙一枚ほどしかありません)二人の人間が理解しあうためには、お互いの間に一定の距離が必要です。しかし、この作品では二人が接近しすぎて「理解しあうために必要な一定の距離」を壊しています。
また、二人は目線を合わせていません。お互いに、どこを見ているかわかりません。「視線を合わせていない」という点では、この現代美術の作品と同じです。(注:北川さんは、展覧会のチラシを見せてくれました)これは、豊橋市美術博物館で2月16日から3月24日まで開催している「美術のみかた自由自在」で展示しているロレッタ・ラックス《アイルランドの少女たち》です。コンピューターグラフィックスで描いた二人の少女の絵ですが、隣り合っているのに視線を合わせず、別々の方向を向いています。これは「近くにいるのに、お互い、遠くの誰かの方を向いている」という現代のコミュニケーションのあり方を表現した作品です。
皆さんは展示ケース越しに見ているのであまり感じないと思いますが、この作品を買った人は感じる所があって「春日大社でお祓いを受けた」そうです。

◆《筍》について(Ⅲ.昭和初期)
本展では《筍》という題名の作品を2点展示しています。「超絶技巧」で有名な安藤碌山の作品にも象牙を彫った本物そっくりの「筍」がありますが、佐藤玄々の作品は超絶技巧を前面に出しておらず、彼の「問題意識」を感じます。2点のうち1点(注:作品番号45)は筍の根元を薄く緑に彩色しているため、自然の筍に宿る生命力を感じます。

◆《牝猫》について(Ⅲ.昭和初期)
この作品、一見するとブロンズに見えますが実は木彫です。佐藤玄々はフランス留学中にルーブル美術館でエジプト彫刻を見ており、この作品はそこで見たエジプト彫刻をもとにしています。この作品で、佐藤玄々は猫の首を後ろに向け、猫に動きを持たせています。

◆《神狗(かみこま)》について(Ⅳ.昭和戦中戦後)
これは熱田神宮所蔵のご神体です。一木造りですが、顔の部分だけは嵌め込みです。隣の大きな《神狗》は試作品で、この小さな《神狗》のほうが完成品です。晩年の佐藤玄々は、小さな作品を作るようになりました。なお、狗犬は「戦いの前に生贄(いけにえ)にされた犬」という話もあります。

◆《麝香猫(じゃこうねこ)》について(Ⅴ.天女(まごころ)像)
木彫ですが、顔の周りの毛にはふわふわ感があります。武者小路実篤はこの《麝香猫》を絶賛していました。

◆《聖大黒天》《大黒天像》について(Ⅴ.天女(まごころ)像)
サイズは小さいですが、とても手の込んだ豪華絢爛な作品です。彫刻・彩色は佐藤玄々の手によるものですが、截金(きりがね=金箔を細長く切って模様を作る技術)は他の職人に任せたのではないかと思います。

◆《天女(まごころ)像》について(Ⅴ.天女(まごころ)像)
日本橋三越本店の《天女(まごころ)像》の注文を受けたとき、佐藤玄々は10メートルを超えるようなサイズのものは意図していませんでしたが、制作を進めるうちに巨大なサイズになってしまいました。《天女(まごころ)像》は、大きすぎて東京から運搬することはできないので本展では3D映像で見ていただきますが、お手元のチラシのように、3月6日(水)から12日(火)まで日本橋三越本店 本館1階に「佐藤玄々展」が巡回しますので、よろしければ《天女(まごころ)像》の実物と併せてご覧ください。
佐藤玄々は「天才」とよばれた彫刻家です。主要な作品が空襲で焼失したこともあって忘れられた存在でしたが、最近、再び評価されるようになってきました。

◆最後に
ギャラリートークの最後、北川さんに「次の展覧会のテーマは何ですか」と尋ねたところ、「4月27日から6月9日まで北大路魯山人展を開催します。名古屋・八事の八勝館さんのご協力もあります」とのご返事でした。次回の展覧会も楽しみですね。
また、北川さんからいただいた佐藤玄々展のチラシをみて「日本橋三越本店の《天女(まごころ)像》を見たい」と言った参加者が何人もいました。
北川さんから紹介のあった豊橋市美術博物館「美術のみかた自由自在」のチラシを見たところ、「美術のみかた自由自在」には「平成30年度独立行政法人国立美術館巡回展 国立国際美術館コレクション」という副題がついており、国立国際美術館のコレクションのうち、セザンヌ、ピカソを始めゲルハルト・リヒター、奈良美智など45作家、55点を紹介する展覧会のようです。「みること」をテーマに「イメージと物質」「表層と深層」「可視と不可視」という3つの切り口で構成しています。こちらも「今度、見にいてみようかな」という参加者が何人もいました。
                            Ron.