「きみはモディリアニーニを知っているか」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

「高校生のための美術鑑賞入門講座」(高校生のための芸術の日の企画)

名古屋市美術館協力会から届いたチラシで、深谷克典・名古屋市美術館副館長の講演が開催されることを知り、名古屋市美術館(以下「市美」)に行ってきました。以下は講演を要約筆記したもので、見出しと(注)は私(Ron.)が補足しました。

◆高校生のための芸術の日について
本日は「高校生のための芸術の日」です。この「高校生のための芸術の日」は、名古屋市美術館としては初めての試み。お隣の名古屋市科学館では以前から、「高校生のための科学の日」を定めて高校生のための科学の祭典を開催しています。そして、「科学だけでなく美術でも」という話があり、今回「高校生のための芸術の日」の行事として「高校生のための美術鑑賞入門講座」を開催することになりました。
座席を見渡すと、現役の高校生に混じって「だいぶ前に高校生だった人」も参加しているようですが「対象は高校生だけでなくどなたでもOK」の講座ですから、ご心配なく。

◆きみはモディリアーニを知っているか
講演のタイトルは、ご覧のとおり「きみはモディリアーニを知っているか」です。お気づきの人もいらっしゃると思いますが、このタイトルはベストセラーの「君たちはどう生きるか」をもじりました。
さて、現役の高校生の皆さんに質問です。皆さん、モディリアーニを知っていますか?(注:挙手なし)そうですか。それでは、《おさげ髪の少女》は知っていますか?(注:挙手あり)《おさげ髪の少女》は知っている人が多いようですね。
《おさげ髪の少女》は市美が開館する一年ほど前に購入した作品で、市美の「看板娘」と呼ばれています。東京や関西からこの作品を見るため、市美に来る人も多く、先ごろ亡くなられた、スタジオ・ジブリの高畑勲さんも「《おさげ髪の少女》を見るために名古屋に来る」という方でした。
《おさげ髪の少女》の作者アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani)は1884年生れで1920年死去。2020年は「没後100年」に当たります。

◆市美の収集方針は
スライドは市美の収集方針です。ご覧のとおり、1.郷土の美術(注:画像は宮脇晴《自画像》)、2.エコール・ド・パリ(注:画像はマルク・シャガール《二重肖像》)、3.メキシコ・ルネサンス(注:画像はディエゴ・リベラ《プロレタリアートの団結》)、4.現代美術(注:画像はフランク・ステラ《説教》)の4分野です。

◆現代と近代の区分は
「現代美術」という時「現代と近代はどのように区分されるのか」ということですが、美術の場合は現代と近代の区分について特に決まった定義はありません。一般的には第二次世界大戦後を「現代」としていますが、市美では「おおむね1980年代以降」を「現代美術」に区分しています。ただし、例外もあります。

◆エコール・ド・パリについて
スライドの写真は地元の作家・荻須高徳(1901~1986)。稲沢市出身の洋画家です。彼は1927年から40年までパリに滞在した後に帰国。1948年に再渡仏して1986年までフランスで活躍し、当地で死去されました。この荻須高徳にゆかりのある芸術家の集団がエコール・ド・パリ(École de Paris)です。エコールには「学校」又は「学派」という意味があり、「エコール・ド・パリ」は「パリ派」と翻訳されています。
エコール・ド・パリの主な作家は、ドンゲン(オランダ)、ブランクーシ(ルーマニア)、パスキン(ブルガリア)、モディリアーニ(イタリア)、アーチペンコ(ウクライナ)、ザツキン(白ロシア)、リプシッツ(リトアニア)、シャガール(白ロシア)、キスリング(ポーランド)、スーチン(ロシア)、藤田嗣治(日本)などです。国籍を見てください。彼らは、いずれもフランス国籍ではありません。
エコール・ド・パリの作家は主に、パリ南部の14区・モンパルナス(Montparnasse)に集まっていました。パリには1区から20区までの行政区があります。1区はパリの中心地で、そこから時計回りに2区、3区と、らせん状に行政区が並んでいます。19世紀半ばから後半まで、当時場末だったパリ北部の18区・モンマルトル(Montmartre)は物価が安く、芸術家たちが集まっていました。20世紀になると、モンマルトルが発展して住みにくくなり、エコール・ド・パリの作家はモンパルナスに集まるようになったのです。

◆狂騒の1920年代
スライドは1920年代に撮影された仮装パーティーの写真です。この時代、人々は仮装パーティーを頻繁に開きました。1920年代は「狂乱の時代」「狂騒の時代」(英:Rolling Twenties、仏:Les années folles)と呼ばれ、人々は第一次世界大戦と第二次世界大戦に挟まれた、この平穏な時代を刹那的に楽しんだのです。写真に写っている眼鏡の人物は、女装した藤田嗣治です。1920年代の彼は「名前を知らないものは無い」というほどの有名人でした。
ヘミングウェイが書いたエッセイ「移動祝祭日」(英:A Moveable Feast、仏:Paris est une fête)を読むと、当時の雰囲気がわかります。ヘミングウェイは1920年代をパリで過ごしており、エッセイに書かれた「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」という文が有名です。

◆モディリアーニについて
スライドは1958年に公開された映画「モンパルナスの灯」に出演したジェラール・フィリップ(Gérard Philipe、モディリアーニ役)とアヌーク・エメ(Anouk Aimée、妻・ジャンヌ役)の写真です。ジェラール・フィリップは「フランスのジェームス・ディーン」と呼ばれた俳優。アヌーク・エメはアヌーク・エーメとも言いますが、この映画で人気を博し、映画「男と女」でもヒロインを演じています。(注:イタリア映画まで範囲を広げると、フェデリコ・フェリーニ監督の映画「甘い生活」「8 1/2」にも出演しています)なお、「モンパルナスの灯」は日本公開時の題名で、原題は「モンパルナスの恋人たち」(Les amants de Montparnasse)でした。
モディリアーニは様々な伝説のある作家で、有名なものは「モディリアーニが36歳の若さで死んだ二日後、二人目の子供を妊娠していた妻のジャンヌはアパートから身を投げて自殺した」というものです。モディリアーニはエピソード先行で見られるため、作品が歪められて評価されがちな作家です。映画の影響も強く、誤解を受けることも多かったようです。モディリアーニの評価に伝説や映画の影響がなくなるのは、最近のことです。
スライドはモディリアーニの写真です。イケメンでしょう。「モンパルナスの灯」を監修したジャン・コクトーは「映画のジェラール・フィリップよりもモディリアーニ本人のほうが遥かに男前だった」と語っています。
次のスライドはモディリアーニの裸婦像です。2015年のオークションで売れた上の作品には210億円の、2018年のオークションで売れた下の作品には172億円の値がつきました。モディリアーニは、生前ほとんど絵が売れませんでしたが、今では天文学的な価格で作品が売買されています。
モディリアーニは1884年7月2日、イタリア・トスカーナ地方の港町リヴォルノに生まれました。リヴォルノはフィレンツェの西に位置し、ユダヤ人が多かった町です。
1906年1月、22歳のモディリアーニはパリに出て、モンマルトルに住みます。1910年頃から彫刻に専念し、絵画を描かなくなります。しかし、幼いころ肋膜炎などに罹っているモディリアーニは、体力を必要とする彫刻を続けることが難しくなり、再び絵画を制作することになります。

◆美術品の海外流出について(少し脱線)
スライドはモディリアーニ《ユダヤ女》で、2008年に市美で開催したモディリアーニ展(開館20周年記念)に出品した作品です。当時、大阪市在住の個人が所有していました。しかし、先日、当人に問い合わせたら「2015年にオークションで売却した」とのことでした。
日本にある美術品のうち、個人や企業が所有していたものが、ここ10年、めちゃくちゃな勢いで海外に流出しています。モネの作品も、かつては日本に200点あったのが、今では100点ほどに減っています。バブルの頃に収集した作品は、バブル崩壊直後にはそれほどでもなかったのですが、特にここ10年ものすごい勢いで海外に流出しています。この現象は「日本の凋落の証拠」だと思います。

◆再びモディリアーニについて
スライドは、20世紀初めにおけるピカソの作風の変化です。1907年から1920年の間に、同じ作家とは思えないほど目まぐるしく作風を変えていますね。
ピカソは極端な例ですが、20世紀の初めは前衛的な風潮が主流になったものの、第一次世界大戦が終わった後は社会のあらゆる層で「秩序への回帰」が起き、美術の分野でも写実的、伝統的表現に戻っていきました。
スライドは1912年のサロン・ド・ドートンヌ=秋の展覧会の写真で、モディリアーニは彫刻を出品しています。20世紀の美術はアフリカ、オセアニアの彫刻に影響を受けており、モディリアーニの作品にもアフリカの仮面など影響が見られます。
モディリアーニの絵画は、ほとんどが人物画で、静物画が少し、風景画はありません。スライドの《黄色いセーターのジャンヌ》は1918年制作で「縦に長い体型で目に瞳がない」という特徴があります。ただ、この特徴はモディリアーニだけのものではありません。「縦に長い体型」は、マニエリスム(注:ルネサンス後期の美術。美術史ではルネサンスとバロックの合間)のイタリアの画家・パルミジャーノ《首の長い聖母》に例があり、「瞳のない目」はゴシック期のイタリアの彫刻家・ティーノ・ディ・カマイーノの彫刻に例があります。さらに言えば、モディリアーニはこれらの作品を、ボッティチェリの《ヴィーナス誕生》や《春》などの伝統を意識しながら描いたのだと思います。
ここで、実験です。《黄色いセーターのジャンヌ》の首を通常のプロポーションに直した絵を用意しました。オリジナルの絵と並べたスライドをお見せします。いかがですか?首を通常のプロポーションに直すと、作品のインパクトが減りますね。
モディリアーニには瞳を描いた人物画もあります。「瞳の有、無」で、その影響を比べてみましょう。ご覧のとおり、瞳が無いと表情が消えてしまいますが、その反面、形や色に注意が集中します。一方、瞳があると表情に意識がとらわれてしまいます。彫刻でも比べてみましょう。やはり、瞳の無いほうが造形性に目が行きますね。

◆《おさげ髪の少女》のモデルは誰?
市美の看板娘《おさげ髪の少女》のモデルは「近所にいた10代前半の女性」と言われており、「モデルは誰か」ということは、それ以上追及してきませんでした。ところが、最近、スイスの美術館が所蔵するモディリアーニの作品のモデルが分かったことから、《おさげ髪の少女》のモデル探しが始まりました。
モデル判明の経緯ですが、ある日本人画家が自伝のなかで「自分の奥さんが若いころ、モディリアーニのモデルをしたことがある」と書いたことから、その奥さんがスイスの美術館が所蔵するモディリアーニの作品のモデルと同一人物だと分かったのです。モデルになった女性ですが、最初は藤田嗣治が自分のモデルに採用しました。その後、彼女はパリに出てきて、モディリアーニのモデルを務めたのです。
スライドを見てください。藤田嗣治が描いた彼女の絵とスイスの美術館が所蔵する作品、《おさげ髪の少女》を比べると「3つの絵は同じ女性を描いたのでは」と思えてくるのです。ただし、この推理に確たる証拠はありません。

◆偽物と本物の判別
テレビ番組「開運 なんでも鑑定団」では、「真っ赤な偽物です」と鑑定されることが良くありますね。実は、モディリアーニは「にせものが多い作家」です。作品の特徴がはっきりしており、マネしやすいことから贋作=偽物が出回るのです。日本でも国立の美術館が購入したモディリアーニの作品に贋作説が出て、国会で追及されたことがありました。
今から、皆さんに偽物と本物の判別をしていただきます。スライドには2枚の絵があります。一つはモディリアーニの贋作者エミール・ド・ホーリー(Elmyr de Hory)、もう一つはモディリアーニの作品です。いかがですか?左の絵が本物だと思う人は手を上げてください。一名だけですか。それでは、右の絵が本物だと思う人は手を上げてください。かなりいらっしゃいますね。本物は「右の絵」です。なかなか、お目が高いですね。
「開運 なんでも鑑定団」を見ていて「本物と偽物を見分けることは、本当にできるのか」と疑わしく思った経験をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、見分けることはできるのです。その理由を言う前に、一つお話をします。

◆羊飼いの話
100匹の羊の世話をしている羊飼いがいました。ある時、羊飼いは1匹の羊がいないことに気がつきました。この羊飼いは、羊の数を数えていません。数えなくても、羊が1匹いなくなったことがわかったのです。
それでは、皆さんに質問です。なぜ、羊飼いは羊の数を数えなくても羊が1匹いなくなったことがわかったのでしょうか?
いかがですか。むずかしいですか。お答えが無いようなので、答えをお教えします。
その理由は「羊飼いは羊の顔が分かるから」。
我々が見ると、どの羊も同じ顔に見えますが、羊飼いは羊が100頭いても、その一頭一頭の顔の違いが頭に入っているのです。だから、一頭でもいなくなったら気がつくのです。
絵画も同じです。毎日見ていれば真贋の見分けがつくようになります。いいものをたくさん見ていれば、無意識のうちにデータベースができて、いいものが分かるようになるのです。
いろいろな世代のなかで、いちばん美術館に来ないのが「高校生」です。一方、高校生など10代の後半は、物事をいちばん吸収する世代でもあります。新鮮な感受性を持って、たくさんの経験をして、その経験を養分にしていただきたいと思います。
これで、私の講演は終わりです。最後まで聞いていただき、ありがとうございました。

◆最後に
「対象は高校生に限らずどなたでもOK」という言葉どおり、どの世代でも楽しめる講演でしたが、今後のことを考えると「高校生向け」という姿勢は大事だと思います。これからも開催していただきたいですね。
「羊飼いの話」の質問、だれも正解を答えられませんでしたが、NHKのチコちゃんとは違って「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られることもなく、ほっとしました。そして、「たくさんの本物・良いものを見る」ことはいくつになっても大切だと、改めて認識することができました。ありがとうございました。
Ron.

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