アルヴァ・アアルト展 記念講演会レポート

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)の記念講演会(以下「講演」)を市美の2階講堂で聴講しました。講演の演題は「Alvar Aalto の住宅と理想の暮らし」。前半は、本展コーディネータ―で建築史家の和田菜穂子さん(以下「和田さん」)による講演。後半は和田さんと久野紀光さん(建築家・名古屋市立大学大学院芸術工学研究科准教授、以下「久野さん」)による対談でした。
和田さんは「専門は北欧近代建築の歴史。一般社団法人・東京建築アクセスポイントの代表理事」と紹介され、久野さんは「市内5大学の学生が制作し、市美・1階ロビーに展示中の2つの建築模型=《ヴィープリ図書館》《セイナヨキ市民センター図書館》の制作統括者」と紹介されました。当日の参加者は、読売新聞の記事によれば約180名。これは「ほぼ満席」ということですから、建築家の展覧会としては上出来です。若い人が多かったですね。以下は、講演内容の要約筆記、(注)は私の補足です。

◆講演の部
◎フィンランド人はサウナが大好き
フィンランドといえば「サウナ発祥の地」。「サウナで温めた体を湖に飛び込んで冷やし、またサウナに入って温まる」ということを何度も何度も繰り返すのが、フィンランド人のサウナの楽しみ方です。
◎北欧諸国では「ゆとり」が大事
私は、デンマークに2年間留学しました。北欧の暮らしは、自然環境では「厳しい冬の寒さ」を乗り越えることが求められます。日常生活は「質素・倹約志向」ですが「ゆとり」を大事にしています。時間的な「ゆとり」としては、時間の使い方が上手で「余暇を楽しむ」ことが彼らの基本です。北欧から日本に戻ると「セカセカ」している自分に気付きます。
空間的な「ゆとり」としては「良質なものだけに囲まれた暮らし」を大事にしています。よく考えて、良いものだけを購入し、世代を超えて使い続けることが彼らの基本です。
また、「仕事より家族との時間を優先し、残業をしない」ことも特色。家族と一緒に家で過ごす時間を大切にしています。
◎北欧諸国は「しあわせ」な国
北欧諸国は、世界のなかでも「しあわせ」な国だと言われます。
「しあわせ」には2つのスケールがあります。スケールのひとつは主観的幸福感ですが、実は北欧には自殺者が多いのです。もうひとつのスケールは客観的幸福指数(国民的総幸福度:GNH=Gross National Happiness)で、精神的な豊かさを数値化したものです。
少し古いデータですが、2006年に国連が発表した世界幸福度ランキングでは1位デンマーク、3位アイスランド、4位ノルウェー、5位フィンランド、10位スウェーデンと、北欧5カ国(アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク)は全てベストテンに入っています。因みに、2位はスイス。日本は53位、中国は83位でした。
◎北欧モダンハウス
私は2012年8月に「北欧モダンハウス 建築家が愛した自邸と別荘」を発表し、7人の建築家の自邸と別荘を紹介しました。本展では、そのうち《アアルト自邸》《夏の家》《マイレア邸》の展示があります。
なお、7人の建築家はアルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)の外、グンナー・アスプルンド(スウェーデン)、アルネ・ヤコブセン、モーエンス・ラッセン、ヨーン・ウッツォン(以上、デンマーク)、アルネ・コルスモ、スヴェレ・フェーン(以上、ノルウェー)です。
◎アルヴァ・アアルト展について
本展はヴィトラ・デザイン・ミュージアム(Vitra Design Museum)が企画して2014年にドイツでスタートした国際巡回展で、日本では2018年9月15日から11月25日まで神奈川県立近代美術館 葉山、同年12月8日から2019年2月3日まで名古屋市美術館、同年2月16日から4月14日まで東京ステーションギャラリー、同年4月27日から6月23日まで青森県立美術館へと巡回します。
元々が欧州の巡回展なので図録に日本に関する記述はありませんでしたが、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムと交渉して、日本展の図録には日本人の3人の建築家とのインタビューを収録しました。
神奈川県立近代美術館 葉山ではArtek製の椅子に腰掛けることができるコーナーを設けました。名古屋市美術館でも「アルテック、ウスタヴァコーナー」という名前で、椅子に自由に腰掛けたり、写真撮影することができるコーナーを展示室内の1階と2階のエレベーターホール及び2階ロビーに設けています。また、見落とされたかもしれませんが1階のロビー(無料区域)に《ヴィープリ図書館》と《セイナヨキ市民センター図書館》の50分の1縮尺の模型を展示しているのでご覧ください。
◎アアルトのキャリア
これからは、アアルトがたどった道を6つの時期に分けてお話しします。
1 ユヴァスキュラ 1898-1816
2 ヘルシンキ   1916-1923
3 ユヴァスキュラ 1923-1927
4 トゥルク    1927-1933
5 ヘルシンキ   1933-1949 アイノ・アアルトと暮らした時期
6 ヘルシンキ   1952-1976 エリッサ・アアルトと暮らした時期
1 ユヴァスキュラ  森で育つ
アアルトの祖父は森林業務官でした。彼は「人間は森なしでは生きていけない。森は人間なしでも生きていける」という祖父の言葉を聞いて育ちました。彼は子どもの頃から絵心があり、14歳の頃に自然を描いた絵が残っています。
2 ヘルシンキ  森を出て都市へ
アアルトはヘルシンキ工科大学に進学しました。後に妻となるアイノ・マルシオ(以下「アイノ」)もヘルシンキ工科大学で学びましたが、アイノはアアルトの4歳年上なので二人に学生時代の交流はありません。
3 ユヴァスキュラ  新古典主義の時代
 卒業したばかりで仕事がなかったアアルトには、測量技師だった父の紹介で古い木造の教会の改修工事の設計が紹介されました。本展では《ヤムサの教会》《トイヴァッカの教会》の仕事を紹介しています。
 初めて新築工事の設計を手掛けたのが《ムーラメの教会》で、試行錯誤を繰り返しています。この教会を設計した時、アアルトは新古典主義の段階でした。なお、《ムーラメの教会》は完成後に手直しされましたが、最近、文化財に指定されたためオリジナルの仕様に復元されました。
ユヴァスキュラ時代にアイノがアアルトの設計事務所に就職し、二人は結婚しました
4 トゥルク
・インターナショナル・スタイルへ傾倒
本展では《トゥルン・サノマット新聞社》を紹介していますが、これはインターナショナル・スタイルに傾倒した、白いモダニズム建築です。インターナショナル・スタイルとはル・コルビュジエのスタイルで、白い箱で四面ガラス張りの建物です。
・機能主義建築へ
《パイミオのサナトリウム》は、最近、オーナーが売りに出しました。その理由は、結核患者数が減っていること、また、サナトリウムとして造られたので辺鄙なところにあるため経営が思わしくないためです。
《パイミオのサナトリウム》の病室は二人部屋が標準で、ワードローブ(クローゼット)も2つあります。ワードローブの形が丸いのは、角ばっているとぶつかるためです。洗面器も一人ずつ備えられ「水がはねない、水音が静か」という形状になっています。
5 ヘルシンキ(アイノと暮らした時期)
・アアルト自邸
アアルトは4人家族で、夫婦と娘・息子が一緒に暮らしていました。《アアルト自邸》(以下「自邸」)はアアルト夫妻で設計しましたが、四角い庭のある庭のデザインはアイノが担当したと思われます。自邸は、中庭に対しては開かれた建物ですが、道路に対しては閉じたデザインです。
自邸は、設計のためのアトリエと家族の生活空間で構成。リビングルームの奥、引き戸で仕切られた向こうがアトリエです。アトリエの2階は吹き抜けになっており、自然光が入ります。自邸の完成後、自邸のアトリエが手狭になったため、自邸から歩いて7分の場所にスタジオを建設しました。
自邸のダイニングの壁にはアアルトが制作したレリーフが飾られています。このレリーフは、曲げ木の実験中に偶然できた形の木材を板に貼りつけたものです。また、写真の椅子はイタリアに新婚旅行した時にアアルトが購入したものです。ダイニングのワゴンはアアルトが蚤の市で買ったもので、彼はこのワゴンを改良して《ティー・トローリー》を制作しました。食器棚の向こうがキッチンです。
・アルテック
アアルトがデザインした椅子は当初、委託した工場で製作していました。その後、アアルト始め4人(アルヴァ・アアルト、アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス=グスタフ・ルール)で創業した会社・アルテックで椅子を製作・販売するようになりました。アルテック(Artek)は、アート(Art)とテクノロジー(Technology)を融合した名称です。
4人の創業者のうちマイレ・グリクセンはアート・コレクター、ニルス=グスタフ・ルールは美術史家です。アルテックは、フランスのアーティストをフィンランドで紹介しています。
・マイレア邸
ご覧の写真は《マイレア邸》です。本展で展示している写真は芸術的写真で建物の全体像が分かりにくいため、私が撮影した写真を使って説明します。
《マイレア邸》は、世界で一番好きな住宅です。中庭にサウナ小屋とサウナで温まった体を冷やすためのプールを備えています。建物の中に入っても、森の中にいるような気持になるインテリアです。サンルームは日本建築の影響を受けており、違い棚や障子のデザインを取り入れています。
・妻・アイノの死
本展に出品したガラス器には、アイノがデザインしたものがあります。彼女は癌のため1949年に先立ち、残されたアアルトは、しばらくの間、抜け殻のようになりました。アアルトは1951年に、一人旅でイタリアに向かい、一杯スケッチをして帰国した後、中庭型の建物でコンペに当選。それが《サゥナッツァロのタウンホール》です。アアルトは、ここでエリッサ・マキニエミ(以下「エリッサ」)と知り合い、1952年に結婚しました。彼女はタウンホール建設の現場技術者でした。
6 ヘルシンキ(エリッサと暮らした時期)
・アアルトの夏の家(実験住宅)
アアルトは1952年、ムーラッツァロ島に別荘を建てます。これが《夏の家》です。冒険、実験、遊びの家なので「実験住宅=コエ・タロ」とも言います。いろいろな種類のタイル・レンガを組み合わせて50種類のパッチワークで床と壁を作りました。彼は、ここで実験した「穴のあいたレンガ」を後に《文化の家》で使用しています。
《夏の家》は白い壁を立ち上げて中庭があり、中庭を囲む壁の外側は白く、内側は赤いレンガを貼っています。白い方が目立つので、外側が白いのでしょうか。(注:《夏の家》の図面を見ると、一見、正方形の建物のように見えますが、写真を見ると建物自体はL字型です。外壁とL字型の建物とに囲まれた部分は中庭です。中庭を囲む外壁は2面。どちらの外壁も中央に通路があるため、左と右に分かれています)
夏の別荘なので《夏の家》の部屋数は多くありません。
《夏の家》では台所にショックを受けました。機能的ではないのです。シンクが小さすぎて、皿が洗えません。「水仕事で濡れるシンクの天板が、木でいいの?」と疑問が湧きます。このダメダメなキッチンを見て「アアルト夫妻は、あまり料理はしなかったかも」と、思いました。
《夏の家》の敷地にはサウナ小屋もあります。サウナ小屋のドアは、取っ手に自然木を使用しています。管理者の話では「よく壊れるので、その都度、取り換えている」とのことでした。サウナを出て、湖に飛び込むための飛び込み台もあります。
アアルトはボートの設計図も多数残しています。《夏の家》は湖の中の島に建てられたので、別荘に通うためにボートが必需品だったのです。
エリッサは、アイノに比べると設計能力は劣りますが、マネジメント能力は高かったと思います。
・白い時代
アアルトは外壁に赤いレンガを使った後、イタリア産の大理石を使うようになりました。この時代を「白い時代」と呼びます。ただ、フィンランディア・ホールの外壁は失敗作で、外壁の外側と内側の温度差のために大理石が反ってしまい張り替えざるを得ませんでした。(注:講演の後、市美の1階ロビーの模型が置いてある場所で久野さんに聞いた話では「外壁の内側には水蒸気が溜まりやすく、冬に水蒸気を含んだ大理石の中で水分が凍結して膨張したので反った。反ってしまった大理石は、元に戻らない。反りを防ぐには、外壁の外部と内部を同じ条件に保つ必要がある」とのことでした)
◎展覧会などのPR
2019.3.4~17に日本建築学会ギャラリーで「内省する空間 アアルトの住宅と図書館」を、2019.3.16には日本建築学会会館ホールで「アルヴァ・アアルト国際シンポジウム」を開催します。
また、2019.4.27~5.3には「北欧モダンハウスを訪ねる旅 フィンランド・ロシア7日間」を開催しますので、ご参加ください。

◆対談の部
和田さんの講演が終わると、引き続き、和田さんと久野さんの対談がありました。対談は、久野さんから和田さんへの質疑応答という形で進みました。
久野
先ず、感想を言わせていただくと、建築の展覧会というのは平面図や写真、模型から建物のイメージを作る必要があるので、理解するためにトレーニングを要します。建築の展覧会は「鑑賞のハードルが高い」と思いました。また、講演で「日本の幸福度が低い」という話がありましたが、それは「日本では欲望が強い」からではないかと思いました。
さて、和田さんへの質問ですが、本展は「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」という展覧会名です。「もうひとつの自然」とは「直球勝負の自然」に対する「解釈された自然」を指すと、私は考えましたが、いかがでしょうか?
和田
本展を英語表記すると「Alvar Aalto Second Nature」です。「自然」に対する言葉は「人工」や「人間」です。講演で紹介した、アアルトのおじいさんの言葉は「人間は森なしでは生きていけない」でした。また、アアルトは「人間は自然に生かされている」と思っていました。
久野
アアルトは「自然に寄せていくのが良い」と言いましたが、コンクリート建築を「反自然」だとは言っていません。「人間は人工的なものを作らざるを得ない」と考えていたのではないでしょうか。自然にも人間にも足りないものがあります。相互に補完し合うものが「もうひとつの自然」なのかな?と、思います。
日本は自然が豊かです。しかし、「アアルトの建築が良い」と言っても(注:自然条件が違うので)名古屋の真ん中にアアルトの建築はできません。
和田
アアルト展のタイミングで自然災害が起きました。自然災害は、否応なく受けます。今年の災害から「今まで自然を蔑ろにしてきたのではないか」ということに気づきました。本展が自然と共生することを考えるきっかけになるのではないか、本展は考えるきっかけとして良いのではないか、と思います。
久野
アアルトは、設計を続ける中で考え方が変わってきていると思います。
和田さんにお聞きしますが、日本人がお手本にすべきアアルトの建築は何ですか?《パイミオのサナトリウム》は、機能的すぎて、あまり手本にはならないと思いますが。
また、アアルトが自然を意識し始めたのは、どの建築からですか?
和田
日本でアアルトの建築を作っても、フィンランドとは場所が違います。フィンランドでイタリアを再生しても失敗します。周りの環境を考慮しないといけません。
アアルトは、初期に手掛けたムーラメの教会《聖具室のための椅子》でも革張りや脚は曲線を描いていました。《パイミオ・チェア》は人間主義で、患者のためを思ったデザインです。膝の裏まで曲線を使っており、人間主義の機能的デザインとして素晴らしいものです。《パイミオのサナトリウム》は「自然になかで治療する」というコンセプトの建築です。アアルトは、インターナショナル・スタイルに走ることはありましたが、その期間は短いものでした。
久野
《パイミオ・チェア》の曲線は優しいと言いますが、フィンランド人と日本人は体型が違うので、日本人には合いません。
講演で「ArtekはArtとTechnologyの融合」という話がありましたが、アアルトは絵描き志向であると同時にエンジニア志向の人でした。また、アアルトは、フィンランドの通貨がユーロに変わる前は、お札に肖像が印刷されていました。お札になった建築家は、あとル・コルビュジエぐらいでしょう。
アアルトの功績は、捨てるような針葉樹を使えるようにしたことです。
スツール60は、座ってみればわかりますが、三本脚なので後ろにコケやすく必ずしも機能的ではありません。(注:後ろにコケないようにするためには、3本の脚の一つが真後ろになるようにスツール60を置いてから座ることが必要です)一方、四本脚のスツールNE60はコケにくいのですが、ガタつきます。モノの価値は機能だけでは語れません。日本人はもともと、機能に乗らないことも大事にしていたのに、いつの間にか機能一辺倒になってしまいました。
和田さんにお聞きしますが、アアルトの建築の魅力は何ですか?
和田
アアルトの建築の魅力は「行ってみないと、良さが分からない」ことです。自分の中では《マイレア邸》は「ずっと居たい、住みたい」と思える住宅です。一方、日本の建築で「住みたい」と思ったことはありません。桂離宮はアート・ピースみたいで、生活感がありません。《マイレア邸》には日本的な感覚があったのではないかと思います。
久野
建築家は「非日常的」なデザインをしたがるのですが、「日常的」なデザインは難しいのです。
和田
補足しますと、お金持ちの豪邸《マイレア邸》は私の身の丈には合っていないので「憧れの住宅」であり「もしも、お金があったら住みたい」という感じの家です。《マイレア邸》の素材感が心に響きました。
久野
アアルトの言葉ですが、彼が「建築というのは、その場所に密着した特別なものでなければ、日常は豊かにならない。その場所にしかないものを作ろう」としたのは、建築家として稀有なことです。そこにアアルトの存在意義を見ます。

◆Q&A
対談に続き、講演を聴講した人と和田さん、久野さんとの質疑応答になりました。
Q1
日本の建物には「長い庇(ひさし)」が合っていると思うのに、近頃は「短い庇」の家ばかりです。
日本の気候に、現在の建築は合っているのですか?
久野
先ず、「長い庇」が失われてきた理由についてお答えします。
実は、建築家は「長い庇」が好きなのです。ただ、庇は「片持ち(注:部材の両端ではなく、片方の端だけを支える構造)」なので強風に弱いのです。台風などの被害を避けるには「短い庇」の方が好都合です。また、庇による太陽光の調整に頼らなくても、室内の温度を人工的にコントロールできるようになったので、「長い庇」が省略されるようになりました。
次に、「長い庇は日照をさえぎるのか」という点についてお答えします。
シドニーのオペラハウスを設計したデンマークの建築家・ヨーン・ウッツォン(Jorn Utzon)(注:和田さんの著書「北欧モダンハウス」で取り上げた7人の建築家の一人です)は、「日本の建築は、屋根が浮いているように見える」と言っています。これは、庇の出し方に気を付けると、夏は日差しを遮り、冬は部屋の奥まで日差しを入れることができるということです。先人は、季節による太陽の高度の変化を良く知っていました。若い建築家は、庇を上手く使おうとしています。
和田
日本らしい住宅は無くなってきました。住環境のコントロールが機械で出来るので、手仕事が無くなってきました。アアルトの建築には手仕事が残っています。そこに魅力を感じます。
久野
補足すると、アアルトの建築は「現場の職人泣かせ」です。市美の1階ロビーに展示している模型でも、設計図どおりに作るにはどうしたらいいか良く分からない所があって苦労しました。実際にできた建物では「太陽光が追っかけていく」のがわかります。
和田
北欧には「ゆとり」があるので、時間をかけても「良いもの」を作ろうという姿勢があります。日本には、「ゆとり」がありません。

Q2
「アアルトには日本的な感覚があるので好き」とは、どういう意味ですか?
和田
1930年代の日本は、物を大切にしていました。フィンランドには当時の日本の名残が残っているので、フィンランドに対して尊敬の念を抱くのです。

Q3
本展で展示されているレンガが気になりました。穴の開いているレンガの意味、用途は何ですか?
和田
穴の開いたレンガは《実験住宅》の中で取り入れたものです。元々あったものではなく、規格サイズのものでもありません。
久野
有孔レンガは、前からありました。沖縄では穴の開いたコンクリート・ブロックが多く使われています。建築素材は、その場所に合う色々なものがあります。穴の開いたレンガも、どこからかパクッてきたものかもしれません。「どういうレンガが良いか」という思考を止めなかったのが、アアルトの巨匠たるゆえんでしょう。
和田
《実験住宅》ではレンガの耐久性なども実験しました。レンガは熱が伝わりやすく、熱さ寒さをさえぎるためには不向きな建築素材です。有孔レンガは「熱を伝わりにくくさせることが出来るか」という試行錯誤の成果だったのでしょう。

◆最後に
以上で記念講演会は終わりました。
市美の1階ロビーに行くと、《ヴィープリ図書館》と《セイナヨキ市民センター図書館》の50分の1縮尺の模型がありました。《ヴィープリ図書館》の模型ですが、講堂では椅子の一脚、一脚まで忠実に再現しています。おまけに、人物まで作って椅子に座らせたり、講堂の中に立たせたりしています。また、《セイナヨキ市民センター図書館》をみて、久野さんが「アアルトの建築は、現場の職人泣かせ」と発言した理由が良く分かりました。「こんなに複雑な形状の建物、よく設計したな」というのが、偽らざる感想です。
市美の1階ロビーの模型は「一見の価値あり」です。アルヴァ・アアルト展に来たら、是非見ましょう。無料区域に展示しているので、観覧券なしでも見学できますよ。
Ron.

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