秋のツアー2018(九州美術館巡り)第2日

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

「秋のツアー2018(九州美術館巡り)第1日」の続編です。
ツアー第1日に「七五三の参詣客で太宰府(「大宰府」ではありません)天満宮が混雑している」という情報が入ったため、第2日の出発時刻が予定より15分早くなりました。午前8時15分の出発です。九州国立博物館(以下「九博」)の開館時刻・午前9時30分までに到着することを目指し、バスは走ります。

◆バスの車内では
バスの車内では、九博に到着するまでの時間を利用して、同行をお願いした名古屋市美術館・学芸係長の保崎さん(以下「保崎さん」)から九博の展覧会「オークラコレクション」、福岡県美術館の展覧会「バレルコレクション」と福岡アジア美術館のコレクションについてコメントがありました。以下は、その概要です。
◎保崎さんのコメント
オークラコレクションは、大倉喜八郎・喜七郎の父子が二代にわたって収集したコレクションです。父の喜八郎は明治から大正にかけて活躍した実業家で、様々な事業を展開する一方、日本・東洋の古美術品を精力的に収集し、私立美術館の大倉集古館を開設しました。その息子でホテル・オークラの創設者・喜七郎も私費で近代日本画をヨーロッパに紹介するなど、多大な文化的貢献を果たしました。このオークラコレクションを収蔵する大倉集古館が東京オリンピックに向けてリニューアル工事に入ったことから、今回の展覧会「オークラコレクション」が実現しました。
「オークラコレクション」では、1930年にローマで開催した日本美術展の出品作品が見ものです。3期に分けて展示替えがあるため前田青邨(まえだせいそん)の傑作《洞窟の頼朝》が見られないのは残念ですが、横山大観《夜桜》を見ることができます。河合玉堂の作品も海外に出品するということから力が入っています。この外に、国宝《納涼図》を描いた久住守景(くすみもりかげ)、渡辺崋山の友人・椿椿山(つばきちんざん)、四条派の松村景文(まつむらけいぶん)も押さえておきたいところです。
「バレルコレクション」では、アントン・モーヴ、ヤーコブ・マリスなどのオランダ・ハーグ派の作品が出品されています。バルビゾン派に似た作風です。印象派が登場する前の画家、ドービニーやブーダンの作品も見ものです。現在、山梨県立美術館でドービニーの回顧展が開催されています。(注:11月24日に発売された「芸術新潮」12月号p.167に紹介記事があります。また、付録「芸新手帳2019」によれば、この「シャルル=フランソワ・ドービニー展」は2019.9.10~11.4の会期で三重県立美術館に巡回する予定です)
アジアの現代美術については、2015年のヴェネツィア・ビエンアーレで見ました。「熱い」と感じました。インド、中国、東南アジアの作品はメッセージ性が強いですね。

九州国立博物館、大きい!!

九州国立博物館、大きい!!


◆九州国立博物館(福岡県太宰府市)
◎明治150年記念特別展 オークラコレクション(3階)
 バスの到着は、九博の開館時刻前でした。既に、九博のロビーには開館を待つ入館者の長蛇の列。人気のスポットなのですね。3階の「オークラコレクション」は国宝、重要文化財、重要美術品が山盛りでした。
国宝《随身庭騎絵巻(ずいじんていきえまき)》は美化してない顔ばかり並んでいます。男前ではないが装飾的で「うまい」と感じました。重要文化財《賀茂競馬・宇治茶摘図屏風(かもくらべうま・うじちゃつみずびょうぶ)》久住守景筆にはホンワカとした情緒があります。椿椿山《蘭竹図屏風(らんちくずびょうぶ)》は金地に墨で描いた6曲1双の屏風、松村景文《四季草花図屏風(しきそうかずびょうぶ)》は緑とピンクが目を惹きます。伊藤若冲《乗興舟(じょうきょうしゅう)》は写真のネガのような作品でした。また、黄金に輝くタイの仏像は、日本と全く違う姿で、印象に残りました。1930年の日本美術展覧会に出品された作品は、保崎さんがコメントしたとおり、どれも力がこもっており大きく華やかな絵でした。この展覧会を見ただけでも、九州まで足を伸ばした甲斐がありました。
◎文化交流展示室(4階)
 集合時刻まで残りわずかにとなったため、4階はざっと見ただけです。特別展示の「大宰府研究の歩み」(「太宰府」ではありません)のパンフレットだけをもらって、集合場所に駆け付けました。
◎保崎さんのコメント
九博見学後、福岡県立美術館に向かうバスの車中ですが、保崎さんが住吉如慶(すみよしじょけい)《秋草図屏風(あきくさずびょうぶ)》、狩野派《帝冠図屏風(ていかんずびょうぶ)》、重要美術品《和漢古画図巻(探幽縮図)》狩野探幽他筆、下村観山《不動尊》、小林古径《木菟図(みみずくず)》、宇田荻邨(うだてきそん)《淀の水車》などについての感想を話してくれました。

◆昼食
昼食は太宰府天満宮(以下「天満宮」)本殿の裏にある照星館。九博のロビーに集合してから、徒歩で動く歩道とエスカレーターを経由して天満宮の敷地に入ってから本殿の境内を歩き、本殿の裏門を抜けて到着。所要時間は10分ほどでした。前日に入った情報どおり、境内は七五三の家族連れで混雑していました。しかし、それよりも多かったのは外国人観光客。お祭りのような人出でした。
昼食に出たのは、太宰府名物・梅ケ枝餅付きの幕の内弁当。照星館は店頭で梅ケ枝餅を製造・販売していました。昼食後は、暫く自由行動。再度集合して、ボランティアガイドさん(以下「ガイドさん」)が待つ天満宮の総合案内所に徒歩で向かいました。

大宰府、迷子?

大宰府、迷子?


◆太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
ガイドさんと合流後、「東風吹かばの歌碑」まで移動。右大臣だった菅原道真公が大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された時の「飛梅伝説」について聞きました。歌碑のすぐそばに銅製の「御神牛」があり、記念写真を撮る順番を待つ観光客の長い行列が出来ています。ガイドさんは観光客が気になるのか、話しにくそうでしたね。
続いて、総合案内所横の鳥居をくぐり天満宮の由来書まで移動。ガイドさんは「神社の入口左側には由来書があるので、神社に参拝するときは必ず読んでくださいね」といった後、我々に「さて、天満宮が『太宰府天満宮』という名前になったのはいつでしょうか」と、質問されました。
正解は、何と「昭和22年」でした。以下は、ガイドさんの話や天満宮のHP等にもとに書いてみた、天満宮の名称が「太宰府天満宮」となるまでの経緯です。
◎太宰府天満宮:名称の変遷
903年に菅原道真公が死去。門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が御亡骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなりました。これを「道真公の遺志によるもの」と考えてその場所に埋葬。905年、安楽寺の境内に味酒安行が廟を建立し天原山庿院安楽寺と号しました。その後、京の都では疫病が流行し、道真公を大宰府に左遷した藤原時平が急逝しました。これが「道真の祟り」と恐れられ、鎮魂のため、改めて神社を建立して道真を祀ることとなり、919年に社殿が完成しました。この年が太宰府天満宮の創建年とされます。987年には一条天皇から道真公に「北野天満天神」の称号が贈られ、990年頃には本来は天皇や他の皇族を祀る神社につけられる「天満宮」の社号を併用し「安楽寺天満宮」を名乗るようになりました。明治時代に入り、「宮」という社号を名乗るのは皇族を祀る神社に限ることとされたため、1871年(明治4)年に社号を「太宰府神社」に変更しました。社号が現在の「太宰府天満宮」となったのは、1947年(昭和22)年です。(注:第二次世界大戦後に政教分離が行われたため、再び「宮」という社号をつけることができた、ということでしょうね)
◎本殿に参拝
本殿に参拝するためには、心字池に架けられた過去、現在、未来を表す三つの橋(過去と未来は太鼓橋、現在は平橋)を順番に渡っていくことが必要ですが、太鼓橋は観光客で満員。本殿の参拝が終わるまでに、かなりの時間を要しました。

◆バスガイドさんの話で大宰府の歴史を知る
福岡県美術館に向かう途中、バスは史跡を「大宰府政庁跡」「榎社」「水城(みずき)」の順で通過。史跡を通過するたびに、バスガイドさんの説明がありました。説明の概要は、以下のとおりです。
◎バスガイドさんの説明
・大宰府政庁跡
7世紀に造営された大宰府政庁は12世紀前半には役割を終え、荒廃していきました。現在、大宰府政庁跡には石碑が建っています。
・榎社
菅原道真公は大宰権帥に任ぜられても大宰府政庁には出仕せず、榎社で暮らして生涯を終えました。
・水城
水城は白村江の戦いで大和朝廷の軍が大敗した後、唐・新羅の軍を防ぐために築いた堀と土塁です。大和朝廷は水城のほか、北に大野城、南に基肄城(きいじょう)を築いて大宰府政庁を守りました。
◎年代順にすると
今回のツアーで見聞きした「大宰府」に関する事柄を年代順にまとめてみると、①大陸との交易拠点は博多湾沿岸にあった。②白村江の大敗により、唐・新羅の攻撃を避けるために行政機関の大宰府政庁を水城の後方に造営した。③大宰府政庁が造営された後も、博多湾沿岸には「鴻臚館」が置かれ外交交易の拠点になった。④12世紀になると、博多湾沿岸を拠点にした、大宰府を通さない私貿易が活発となり大宰府政庁は役割を終えた、ということになるでしょうか。
出発してから40分ほどで、バスは福岡県立美術館に到着。それは、須崎公園のなかにありました。

◆福岡県立美術館(福岡市中央区)
福岡県立美術館では「バレルコレクション」等について、高山学芸員から10分ほど説明を受けました。その概要は、次のとおりです。
◎高山学芸員の説明
バレルコレクションを収集したウィリアム・バレルはグラスゴーの出身です。彼は海運業で財を成し、印象派のほかオランダ人画家、スコットランド人画家の作品を収集しました。スコットランド人画家の作品収集には地域文化の発展という目的もあります。作品の総数は9,000点ぐらいありますが、1944年にグラスゴー市に寄贈されました。寄贈にあたっては「門外不出」という条件が付いていました。しかし、美術館「バレルコレクション」が改装工事に入り2020年にリニューアルオープンすることになったため、日本の5会場での展覧会開催ができることとなりました。出品作品ですが、クールベ等の写実主義の作品は穏やかな雰囲気のものです。グラスゴー・ボーイズ、スコティッシュ・カラリストと呼ばれたスコットランド人画家の作品もあります。チラシにはブーダンが描いた船の絵を使いました。出品作品には知られざる名作が多数あります。心地よくなる絵が大半です。どうか、お楽しみください。なお、4階の常設展は本日、入場料無料です。博多人形を展示していますのでお越しください。
◎バレルコレクション(3階)
高山学芸員の説明通り、バレルコレクションは眺めていて落ち着く作品ばかりでした。「他人に見せびらかすためではなく、個人の邸宅にさりげなく飾って一人楽しむため」という作品が多いからでしょうね。そのためか小振りの作品が多いのですが、でも、いい感じです。表紙に使われたウジェーヌ・ブーダン《ドーヴィル・波止場》は27.9×21.9cmと、思ったより小さな絵でした。
◎鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)の人形と短歌(常設展)(4階)
会場の説明を読むと、鹿児島寿蔵(1898-1982)は福岡市の生まれ。博多人形の制作に取り組んだ後、より丈夫な素材を求めて「紙塑(しそ)」という技法に到達したとのこと。「紙塑」とは和紙の原料で作った紙粘土で、長時間臼でつき捏ねているので堅く、少々の水や火にも耐える素材です。作者は、この技で人間国宝に認定されています。
九州という土地柄か古代人の衣装を着た人形が多く、吉野ケ里歴史公園や福岡市博物館、九州国立博物館の展示を思い出しました。
◎高野野十郎(たかのやじゅうろう)特設コーナー(4階)
高野野十郎の作品は4階の無料スペースに展示されていました。当日は《蠟燭》《傷を負った自画像》など5点の作品を展示。2カ月ごとに展示替えとのことです。
福岡県立美術館を見学した後、バスは福岡市博多区の複合施設「博多リバレイン(Hakata Riverain)」に向けて発車しました。博多リバレインはリバレインセンタービル、ホテルオークラ福岡ビル及び博多座・西銀ビルの3施設で構成される複合施設で、福岡アジア美術館はリバレインセンタービルの7~8階にあります。リバレインセンタービルにバスの駐車場はないので、バスは昭和通りに停車。そこからリバレインセンタービルまでは徒歩でした。

◆福岡アジア美術館(福岡市博多区)
 エレベーターに分乗してリバレインセンタービルの7階で降りると、福岡アジア美術館の野口さんと3人のボランティアさんが出迎えてくれました。ツアー参加者は3班に分かれ、班ごとにボランティアさんのギャラリートークを聴いた後は、自由観覧でした。

福岡アジア美術館、トーク中

福岡アジア美術館、トーク中


◎ボランティアさんのギャラリートーク
先ず、企画ギャラリーで開催中の「横尾忠則とアジア― ’89」をご覧いただきます。出品作品はいずれも福岡市美術館の所蔵です。最初に展示しているのは「聖シャンバラ」のシリーズです。「聖シャンバラ」は想像上の都市、地球内部の空洞に存在するというアガタ王国の首都の名前です。横尾忠則はインドに興味を持ち、まだ見ぬインドに対する自分のイメージを作品にしました。次の「SANTANALOTUS」はレコードジャケットのデザインです。また、1989年に開催されたアジア美術展のポスターと原画も展示しています。
次の部屋はアジアギャラリーです。福岡アジア美術館の収蔵品を展示しています。エルマー・ボルロンガン(フィリピン)《D.H.(家政婦)》(1993)は外国で家政婦として働くフィリピン女性たちの過酷な実情を描いた作品です。椅子に腰かけた二人の女性、弱い立場にある彼女たちの口の回りは消えかけています。ラジ・クルーマ・ダス(絵)、ガッファール工房(車体製作)(バングラディシュ)《リキシャ》(1994)は、日本の人力車をルーツにした乗り物。カラフルな幌、色とりどりのリボンで飾られたハンドル回り、極彩色の絵で埋め尽くされた座席、びっくりするほどに過剰な装飾が施されています。カルロス・フランシス(フィリピン)《教育による進歩》(1994)はマニラの教科書出版社の壁画として描かれたもので、古代にやってきたマレー人、アメリカ統治時代に派遣された教師団などフィリピンの歴史を描いています。キエン・イムスィリ(タイ)《音楽のリズム》(1949)は、タイの古典様式をもとにしたブロンズ彫刻です。
以上のほかにも多くの作品について解説していただきましたが、残念ながらメモしきれませんでした。保崎さんのコメントのとおり、メッセージ性の強い作品が多く、そのためか大型の作品が目立ちました。
◎保崎さんのコメント
帰りのバスのなかで保崎さんから「漁港の岸壁で男性がウナギを調理しようしている姿を描いた韓国の画家の作品(画家名・題名不詳)が面白かったと」とのコメントがありました。確かに面白い絵でしたね。絵の感じでは、男性の動作はウナギを割(さ)くのではなく、「ぶつ切り」にしようとしている姿に見えます。日韓ではウナギの調理法が違うのでしょうか。
◎日韓工芸作品展(8階)
ギャラリートーク終了後、時間があったので8階で開催している「日韓工芸作品展」も見ました。ダ・ヴィンチ《モナリザ》やフェルメール《真珠の耳飾りの少女》などの漫画風パロディをレリーフにした作品や風景画をレリーフにして額縁に収めた作品、ハングルの書道など、遊び心のある作品が多くて楽しめました。

◆JR博多駅にて
 福岡アジア美術館を出てJR博多駅に到着したのは午後5時。新幹線の発車時刻は午後6時10分なので博多ラーメンを食べたり、買い物をしたりする時間を確保することができました。午後6時10分の新幹線に乗らない参加者もいるため、ツアーはここで一先ず解散です。
 今回の秋のツアーで感じたのは「アジアの熱気」です。特に、九博と天満宮の外国人観光客の数に圧倒されました。また、第1日に市博の学芸課長から聞いた「福岡はアジアの玄関口」という言葉を、ツアーの中で何度も何度も思い出しました。

◆最後に
今回の秋のツアーは心配していた雨にも祟られず、参加者の笑顔で締めくくることができました。これも、同行していただいたJR東海ツアーズ・三次(みつぎ)さんのお陰です。見学順序や食事時刻の変更など無理なスケジュール調整に、いやな顔も見せずに対応して下さったことに感謝します。スケジュール調整の効果はとても大きくて、ツアー参加者は「無駄に時間を費やす」ことなく、ツアーの日程を目一杯エンジョイすることができました。本当に、ありがとうございました。
最後に、ツアーに参加して下さった皆さん、お疲れ様でした。楽しかったですね。
Ron.

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Sorry, the comment form is closed at this time.

会場にて「inferno」 解説してくださった特別主任学芸員の北川智昭さん、ありがとうございます 2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの