アルヴァ・アアルトの建築とデザイン

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会から届いたチラシで知った公開講座を聴くため、中区大井町のイーブルなごや(e–able–Nagoya:正式名称は、名古屋市男女平等参画推進センター、名古屋市女性会館)まで足を運びました。講座の内容は建築家・アルヴァ・アアルトの作品紹介で、講師は名古屋市美術館学芸員・中村暁子さん(以下「中村さん」)でした。公開講座が始まった時、会場の3階大研修室はぎっしりと埋まっており、「入場無料」とはいえ平日の午後としては盛況。以下は講座の内容を要約したもので、(注)は私の補足です。

◆名古屋市美術館の特別展「アルヴァ・アアルト ― もうひとつの自然」について
アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)はフィンランドを代表する建築家・デザイナーです。自然と人間の関係を見つめ続けたヒューマニズムの建築家で、ドアの取っ手、家具、照明器具、ガラス器のデザインも手掛けています。また、特別展の会期は12月8日(土)から来年の2月3日(日)まで。観覧料は一般1,200円、高大生900円、中学生以下無料。300点近くの作品を紹介します。

◆アルヴァ・アアルトの生涯について
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)は1898年、フィンランド(注:当時はロシア帝国支配下の「フィンランド大公国」)クオルタネ生まれ(注:今年は生誕120年)。父は測量技師です。測量技師はフィンランドでは大変に尊敬される職業でした。幼い頃、アアルトは父のオフィスの白い机の下で遊び、父を通じて自然の有機的な形に親しみました。絵が得意な子どもで、9歳の時に建築に興味を持ちました。アアルトが8歳の時に母が死亡し、父は母の妹と再婚しました。新しい母とアアルトとの仲は良好だったようです。
1916年にヘルシンキ大学(現在のアアルト大学)に進学し、建築学を学びます。大学に在学中、父が自動車を購入するとアアルトも自動車を購入して乗り回しています。自動車の外、蓄音機やカメラも購入しています。新し物好きの人でした。
アアルトは建築家の下でインターンシップをしているとき、頭の回転が速く人懐っこい性格のため「建築家よりも新聞記者に向いている」というアドバイスを受けましたが、建築家の道を進みました。
1923年にユヴァスキュラに建築事務所を開設。1924年には建築家のアイノ・マルシオと、知り合って半年で結婚しています。アアルトはアイノと結婚した理由を、「僕はアイノに多額の借金を背負っていたので、結婚する以外に選択肢がなかった」と友人に言っています。もちろん、これは照れ隠しの冗談です。新婚旅行は飛行機を使ってイタリアに出かけました。アアルトはイタリアで大量のスケッチを描いています。新婚旅行では湯水のようにお金を使い切って帰国しました。イタリア文化に触れたアアルトは「ユヴァスキュラを北のフィレンツェにしたい」と考えました。
1927年には建築事務所をトゥルクに移転しました。トゥルクは日本でいえば京都にあたる古都です。そして、1928年に行われたパイミオのサナトリウムの設計コンペで一等を獲得したことで、国際的な建築家への第一歩を踏み出しました。この時期、アアルトはグロピウスやコルビュジエ、レジェと親しくなっています。
1935年には、アアルト夫妻とニルス・グスタフ・ハール、マイレ・グリクセンの4人が共同して家具販売会社アルテック(注:Artekという名前の由来はartとtechnology)を設立しています。アルテックは現在も、アアルトがデザインした照明器具やパイミオ・チェアなどを販売しています。マイレ・グリクセンの夫ハッリ・グリクセンはマイレア邸(1939年竣工)の施主です。また、アアルトがデザインしたサヴォイ・ベース(Savoy Vase)などのガラス器はイッタラ社が販売を開始して現在も販売しています。
アアルトは1938年にアメリカに進出し、1939年竣工のニューヨーク万国博覧会フィンランド館を設計。フィンランド館の特徴はオーロラの壁(注:オーロラのように壁面がうねった木製の内壁)です。
第2次世界大戦後の1946年から1948年まで、アアルトはマサチューセッツ工科大学(以下「MIT」)の客員教授を務め、MITの学生寮も設計しました。アアルトは1948年に帰国し、翌年の1949年に妻アイノが死去しています。
第2次世界大戦後、アアルトはイタリアでインスピレーションを得た赤レンガを外壁にした建物を数多く設計していることから、この時期は「赤の時代」と呼ばれています。アアルトは1952年に建築家のエリッサ・マキニエと再婚し、同年に「夏の家」を設計しました。1955年からは一転して白い外壁の建物を数多く設計したので「白の時代」と呼ばれています。
アアルトが死去したのは1976年で、アアルトの事業は妻エリッサが引き継ぎました。
アアルトは、フィンランドのお札に肖像が印刷されるほどのフィンランドを代表する建築家です。(注:現在のフィンランドはユーロ紙幣を使用しており、アアルトの肖像が印刷された紙幣は使われていません)

◆アアルトの建築作品について
◎アアルト自邸(1936年竣工)
 初期の主な建築作品は、アアルト自邸(ムンキニエミに建てた自宅にスタジオを併設した建物)と、1927年設計・1935年竣工のヴィープリ図書館(注:現在はロシア連邦・レニングラード州・ヴィボルグ市)、1928年設計・1933年竣工のパイミオのサナトリウムです。
アアルト自邸の建設場所はヘルシンキ北西部の閑静な住宅地ムンキニエミです。ムンキニエミは1930年代まで手付かずの自然が残され、1940年代まで海が見えたとのことです。
アアルトは新古典主義に基づく建築作品から出発し、機能主義に基づく作風に変化していきました。ただ、アアルト自邸は機能主義とは違っています。その外観を見ると1階が白く塗った凸凹(デコボコ)のある壁で、2階が焦げ茶色の羽目板を縦に並べた外壁になっています。アトリエはバタフライ屋根(注:蝶が羽を上に広げたような形の、両端が高く中央部が低い屋根)で、陸屋根(注:ほぼ水平な屋根)とは違い人間的なぬくもりが感じられます。アアルトは自身を「ロマンティックな機能主義者」と呼んでいます。
 アアルト自邸は、通りに面した壁に窓が開いていません。そして、中庭から見ると窓が大きく開いています。建物の形はL字型で、家族が過ごす場所と仕事をする場所が分かれています。スクリーンに投影した写真は大きな窓のあるリビングルームの内部です。アアルトがデザインした家具や照明器具が写っていますね。リビングルームの続きにオフィスが配置され、オフィスの床はリビングルームより40cm深くなっています。リビングルームとオフィスの間は大きな引き戸で仕切られており、この引き戸は日本家屋の影響を受けたものです。オフィスの反対側にはキッチンとダイニングルームが配置され、ダイニングルームの椅子は新婚旅行先のイタリアで購入したアンティーク家具です。2階には寝室、子ども部屋、ゲストルームと暖炉を置いたホールが配置されています。アアルト自邸は機能性とともに、住む人の居心地のよさを追求した建築です。
(注:ネットで検索したところ「新古典主義」は18世紀後半にフランスで始まった、古代ギリシアや古代ローマの建築を理想とする建築様式で、代表例はフランスのエトワール凱旋門、英国の大英博物館など。また、「機能主義」は建築の機能と無関係な装飾や造形を排除した合理的な建築を目指す建築様式でした)

◎オフィス・スタジオ(1955年竣工)
 公共事業の仕事が増えたため、アアルトは1955年にアアルト自邸から徒歩10分の所に新しいオフィス・スタジオを建設しました。急斜面に建てた4階建・L字型の建物です。外壁は凸凹(デコボコ)のレンガで、建物の中にはスタジオ、食堂、製図室が配置されています。スタジオはミーティング等にも使います。中庭には扇型の円形劇場が設置されています。アアルトはオールボーの美術館(注:デンマークのオールボーにあるノースユトランド美術館:1958-72)にも円形劇場を設置しています。
 私(注:中村さん)は2017年にオフィス・スタジオを訪れたのですが、かつて多くのスタッフが働いていたことを想像させるようなスタジオでした。高い天井のスタジオでは少し前までミーティングが行われていたようで、アアルトがデザインした各種の椅子が置かれていました。また、アアルトがデザインした照明器具も吊り下げられていました。1976年にアアルトが死去した後は、妻のエリッサが事業を引き継ぎました。アアルト自邸は、1998年からアルヴァ・アアルト財団が管理しています。

◎パイミオのサナトリウム(1933年竣工)
 パイオミのサナトリウムは、1928年に行われた設計コンペでアアルトの設計が最優秀となった建物です。サナトリウムは結核患者の療養所です。アアルトは、照明がまぶしくないようにする、水回りの音を吸収する、穏やかに過ごせる色彩を採用するなど、患者の心地よさに配慮した建物を設計しました。
 パイオミのサナトリウムの外観は白い壁のモダニズム建築(注:装飾を排除した機能主義の建築)ですが、内部は人にやさしい空間です。サナトリウムの内壁の色は薄いグリーンで、階段の踏み板は黄色、手すりは青。肘掛け椅子には患者が休息できるようにアアルトがデザインしたパイミオ・チェアが使われています。アルヴァ・アアルト展では展示室のなかにパイミオのサナトリウム内部を再現します。

◎マイレア邸(1936年竣工)
 マイレア邸は、アアルト夫妻の友人でアルテックの共同経営者であるマイレ・グリクセンと彼女の夫ハッリ・グリクセンの邸宅です。松林の中に建てられました。マイレ・グリクセンは画家・美術品収集家で、彼女が収集した作品の作家はピカソ、アルプ、コールダーなどです。
 設計当初、収集した美術品は独立したギャラリーに展示するという計画でしたが、最終的には生活空間のなかに飾ることになりました。
 マイレア邸で目を惹くのは、木を多用した広々とした部屋です。フィンランドは木材産業が盛んで、木は人に優しい素材です。部屋には大きな窓から明るい光が差し込みます。階段の踏み板には多くの木材が使われています。また、階段の両側は竹林のように、たくさんの木の柱で覆われています。

◎ニューヨーク万国博覧会フィンランド館(1939年竣工)
 アメリカでは、1938年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)でアアルトの個展が開催されました。1939年に竣工したニューヨーク万国博覧会フィンランド館は、外観はホワイトキューブ(注:白い立方体。MoMAが導入した様式で、展示空間の代名詞。白い立方体の箱に大きなガラス窓がついた建築であり、モダニズム建築の到達点)ですが、内部は、オーロラに見立てた12メートルの高さの曲線的な壁で構成されています。上部にはフィンランドの風景を撮影した大きなパネルが掲げられ、下の方にはフィンランドの製品が展示されました。また、会場最後の壁には「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という題名の映像作品が上映されました。アルヴァ・アアルト展ではフィンランド館の写真を展示します。

◎セイナッツァロの役場(1949年設計、1952年竣工)
 セイナッツァロの村役場からアアルトに依頼された都市計画のうち、村役場だけが実現しました。スクリーンに投影した写真のとおり、赤いレンガの外壁の建物が「シエナのカンポ広場」と呼ばれる広場を囲んでいます。アアルトの建築では「中庭」を大切にしていますね。次の写真ですが、大きな窓の下にあるのは暖房器具です。フィンランドの気候は厳しいので寒さへの配慮が欠かせません。今度の写真は屋根を支える構造です。写真の支柱はマルチ・ビーム・バタフライ・トラスと呼ばれます。水平に伸びた梁(はり)から屋根裏に向かって放射状に、扇の骨のように支柱が伸びて屋根の垂木(たるき)を支えています。

◎夏の家(1953年竣工)
 夏の家は実験住宅です。外側だけ白く塗った壁の奥に、中庭を囲むようにして赤いレンガの外壁の家が建っています。中庭に面したレンガの外壁と中庭の床のレンガは、素材がフィンランドの自然にどう耐えられるかを実験するため、異なった素材がパッチワークのように組み込まれています。夏の家の中庭からは湖が見えます。夏の家は、アアルトと二番目の妻・エリッサが共同して設計しました。

◎フィンランディアホール(1961年設計、1971年竣工、1975年会議室増築)
 フィンランディアホールはヘルシンキの中心部にある緑化公園に建設される一連の建物の一部で、用途はコンサートホールです。フィンランディアホールは「白の時代」の建物で、外壁は白い大理石で出来ており、ロビーには自由に入ることができます。

◆アアルトがデザインした家具について
◎スツール60(1933年)
現在は定番中の定番である「丸椅子」の元祖は今から85年前にアアルトがデザインした「スツール60」です。素材は白樺(バーチ材)です。椅子の脚は白樺の無垢材に切れ込みを入れ、その切れ込みに薄い木の板と接着剤を挟み、機械で熱と圧力を加えて曲げてから脚の表面を削って仕上げたもので、L-レッグといいます。(注:薄い板を挟んだ無垢材を90度に曲げるという技法は特許を取得しています)
スツール60で画期的なのは、注文者に完成品ではなく部品で送り、注文者が自分で組み立てて完成する「フラット・パック」という販売方法です。荷物がかさばらず、経費の節減にもなります。また、スツール60はスタッキング、つまり上へ上へと積み重ねることを可能にした最初の家具です。
フィンランドでは、どの家庭にもアアルトがデザインした家具が一つあると言われています。アアルトがデザインした家具の販売会社アルテックは、コム・デ・ギャルソン等ともコラボしています。
アルヴァ・アアルト展では、たくさんのスツールを展示します。

◎パイミオ・チェア(1932年)
 パイミオのサナトリウムで使っているパイオミ・チェアは、結核患者が楽に呼吸できる形状の肘掛け椅子です。椅子の座面と背もたれは一体になっており一枚の積層合板を成型したものです。背もたれには強度を高めるため、切れ目が入っています。また、椅子の脚は18枚の薄いブナ材の板で出来た成型合板です。パイミオ・チェアはフィンランド人の体格に合わせて作っているので日本人には大きいかもしれません。

◆2017年2月のフィンランド旅行について
 私(注:中村さん)は2017年2月にフィンランドを訪れ、アアルトの建築作品を見て来たので、その時の話をします。
〇アアルトのスタジオ
 アアルトのスタジオは天井が高く、大きな窓から光が差し込む開放的な空間が印象的でした。また、私が訪れた時のツアー客は日本人3人だけだったので、スタジオのガイドは日本語。ガイドさんは、フィンランドの大学で日本語を学んだとのことでした。
〇アアルト自邸
 アアルト自邸を訪れると、ピアノの上に最初の妻アイノ・アアルトの写真が飾られていました。アイノ・アアルトは仕事と家庭のどちらも大切にした人で、アルヴァ・アアルトとのコラボレーションで仕事をしました。アアルトは、エリッサと再婚した後もアイノの写真を飾っていたのです。
 テーブルの上には、花瓶のサヴォイ・ベースが置かれていました。サヴォイ・ベースはフィンランドの湖をイメージしており、「サヴォイ」というレストランのためにデザインしたものです。サヴォイ・ベースは今でも買うことができます。
〇アカデミア書店(1969年竣工)
 アカデミア書店は、アアルトが設計した書店で、彼がデザインした机と椅子が置かれていました。ドアノブもアアルトがデザインしたものでした。書店の片隅に「カフェ・アアルト」があります。このカフェにも、アアルトがデザインしたランプ「ゴールデン・ベル」が吊るされていました。ブルーベリーのタルトがおいしかったですね。

◆アアルトのデザインについて
 アアルトの建築作品は「細部まで配慮した全体」を完成させること、暮らしを心地よくすることをメインに設計されています。フィンランドの気候は厳しいので、建物のなかで快適に暮らすことが出来るよう配慮したデザイン、人の幸福を作り出すことのできるデザインです。

◆フィンランドについて
 フィンランドは、中部国際空港からフィンエア一本で行くことができます。「シャイで初対面の人にはもじもじする、サウナを愛する」というフィンランド人の気質は、日本人と共通性があります。フィンランドの首都ヘルシンキは、楽しく、過ごしやすく、心地よい街です。

◆名古屋市美術館のコレクションの楽しみ方について
 名古屋市美術館に来たら常設展も楽しんでください。美術作品は一度の出会いでも強い印象を受けます。一方、何度も出会うことが出来る作品は、その度に違って見えます。何度も見てください。お気に入りの作品を見つけてください。展示された順番通りでなく、気になる作品や好きな作品から見るという見方もあります。解説を読むことも大事ですが「先ず作品を見る。解説は補足的に」という見方もあります。
 ぜひ、名古屋市美術館にお越しください。

◆Q&A
Q1 フィンランドに旅行した時、フィンランド航空の旅客機のなかですてきなガラスコップが出されました。フィンランドの空港で売っていたので、すぐ買い求め、大事に使っていたのですが一つ割れてしまいました。同じコップ、どうしたら買えますか。
A1 アアルトがデザインしたガラス器はイッタラという会社で売っています。インターネットで注文することもできます。(注:Amazonを検索すると、花瓶のアアルト・ベース(サヴォイ・ベース)、アイノ・アアルトのタンブラーとハイボールがヒットしました)

Q2 アルヴァ・アアルト展に展示された椅子に座ることはできますか。
A2 展示室に展示した作品には座れません。そのかわり、アアルトがデザインした椅子に座ることが出来るスペースを考えたいと思っています。(注:2017年4月7日から5月28日まで愛知県美術館で開催された「フィンランド・デザイン展」では展示室を出たところに、アアルトがデザインしたスツール60の外、エーロ・アールニオがデザインした動物型の椅子やボールチェアが置かれ、自由に座ることが出来ました。やはり、家具は座れるほうが良いですね)

◆追記(フィンランドの歴史)
 上記のフィンランド・デザイン展で「フィンランドの歴史」が掲示されていました。以下は、その抜き書きです。フィンランド領だったヴィープリがロシア領のヴィボルグになったのは「第2次世界大戦で連合軍に敗北したためである」ということが分かります。
1159~1809 スウェーデン支配下
1809~1917 ロシア支配下
1809 第2次ロシア・スウェーデン戦争でロシアが勝利。フィンランド州がロシアに併合されフィンランド公国となる
1914 第1次世界大戦勃発(~1918)
1917 ロシア革命勃発。ロシア帝国崩壊
1917~  独立
1917 12月6日フィンランド独立
1919 フィンランド共和国 公用語 フィンランド語、スウェーデン語
1939 第2次世界大戦勃発。ソ連侵攻
(注:1940年3月12日にモスクワ講和条約。カレリア地方をソ連に割譲)
1941 イギリスがフィンランドに宣戦布告
(注:1941年ドイツがフィンランド領内からソ連に攻撃開始。ソ連がフィンランド領内のドイツ軍に対し空爆を行ったため、フィンラドは止む無くソ連に対し宣戦布告した)
1944 1940年の国境線の回復や巨額の賠償金支払いを条件に連合軍との休戦協定調印
1945 トーベ・ヤンセンがムーミンシリーズ第1作「小さなトロールと大きな洪水」刊行
フィンランドは大国ロシアと国境を接しているため、第2次世界大戦では中立を望んでいてもソ連と過酷な戦争をせざるを得なかったのですね。

◆最後に
 昨年の「フィンランド・デザイン展」でアアルトがデザインした家具を見ました。しかし、建築家アルヴァ・アアルトの偉大さについては今回の公開講座で初めて知り、朧気ながらもアアルトが友人に恵まれ、名声を得て、経済的にも豊かだったことが分かりました。しかし、初めて聞くことばかりで上手くメモが取れなかったため、拙い要約になってしまいました。すみません。
Ron.
参考文献 「北欧フィンランド 巨匠たちのデザイン」2015年 株式会社 パイ インターナショナル

10年1日(高橋 菜々) Art Lab Tokyo/Akiba

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ


 久しぶりに長者町に出かけたら、旧アートラボ(玉屋ビル)が取り壊され、更地になっていた。いずれ高層マンションができるらしい。
数日後、所用で出かけた街で、思いがけず「Art Lab Tokyo」の看板を見つけた。一見、町工場か倉庫のような建物の奥で高橋菜々氏の個展が開かれていた。

 展示されていたのは大小さまざまの超現実的かつ独特な絵画。建ち並ぶビルの谷間を緑色の大きな蛇が徘徊しているとか、ベランダの人物の背後から刃物を構えた子供がこちらをのぞいているとか。本人いわく「中二症」的な表現があふれていた。

 目を引いたのは、過去の展示風景の写真をコラージュしたアートボックス。手の平サイズの紙箱の中に合成された架空の展示は、指先サイズの小さな作品であふれかえっていた。

2018ArtLabTokyoアートボックス

2018ArtLabTokyoアートボックス


 次に目を引いたのが、部屋の中央のテーブルの上に並べられたたくさんのキーホルダー。「街中で自分の作ったものを持っている人に出会えたらうれしい」ということで、希望する来場者に配布しているとか。いままでに100個以上も配布しているそうだが、まだ街中で見かけたことはないとも。

 普段はOLをしながら、暮らしの中で描き散らし、作品の一部はWEBでも公表しているそうだ。キーワードは「俗窓」。ちょっと斜めに構えたあたりのネーミングセンスも独特。機会があれば、今後も見てみたい。

追記
 今回、訪問した”Art Lab Tokyo/Akiba”には、2つの展示スペースがあり、入口側のスペースを”Art Lab Tokyo”、高橋氏の作品が展示されていた奥側のスペースを”Art Lab Akiba”と呼び分けているそうだ。事情を知らないと、同じ場所にあるとは思わないかも。
杉山 博之

中村功新作展を見て

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 八丁堀のヒノギャラリーで”中村功新作展”を見た。抽象画を見ていると、時々不思議に思うのだが、制作中の作家は画面の中で上下左右の感覚をどのように意識しているのだろう。ギャラリースタッフに聞いても、これといった答えがなく、もし機会があれば、作家に聞いてみたいと思っていた。

 中村氏の場合、浮かぶように、漂うように、重力から自由になろうと意識して描いているそうだ。居合わせた観客の会話を聞いていると「緑の部分は水中の水草。その上を橙が手前に浮かびあがってくるようだ。」とか、「緑と青がおとなしく画面の向こう側に沈んでいくみたい。」というような声が聞こえてきた。

 確かにフワフワとした水草の動きや、風の吹く草原を連想させる作品なのだが、しばらく見ていると、橙の部分が鋭く画面から突き出してくるように見えてきた。もっと具体的に言えば、橙の部分が血のついた刃物のように見え、無数の刃物でぐるりと四方を取り囲まれた緊張感を感じた。歓談していた他の観客の方はどうだったのだろう?

 カラフルかつ、力強い筆遣いなので、ついつい引き込まれ、いつの間にか無意識下で、ざわざわとした違和感を刺激してくる作品たち。その中で気に入ったのが、黄と緑の地に紫を散らせた小さめの作品。もしかすると、この作品は今回の展覧会の異端なのかもしれないが、他の作品より穏やかで、緊張せずに見ていられた。

中村功新作展
会期:2018年11月17日まで
ヒノギャラリー

杉山 博之

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち