「至上の印象派」ギャラリートーク(前編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

展示会場で話をきく会員たち

展示会場で話をきく会員たち


名古屋美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下、「本展」)の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。担当は深谷副館長。応募が90人を超えたため美術館2階講堂で展覧会の概要を解説。展示室におけるギャラリートークは主要な作品に絞るという方式になりました。当日、名古屋市の最高気温は39.9度。「危険な暑さ」のため屋外での活動や日中の外出を控えたためか欠席者があり、講堂に集まったのは81人。減ったとはいえ、人気の高さを感じました。
レクチャーの始めに深谷副館長から「連日、大勢のお客が来館していますが40度超えの気温で来館者の行動に変化があります。いつもなら午後2時から3時が来館者のピークですが、本展は開館前から行列が出来て午前中が来館者のピーク。午後になると来館者が減っていきます」という話がありました。連日の猛暑は、こんなところにも影響しているのですね。
以下は講堂における展覧会の概要解説と展示室のギャラリートークを要約したものです。

<展覧会の概要=講堂における深谷副館長の解説>
◆エミール.ゲオルク.ビュールレ氏と彼のコレクションについて
TV等の広報でご存知の方も多いと思いますが、本展はスイス・チューリッヒの個人コレクター=エミール・ゲオルク・ビュールレ氏(以下「ビュールレ」)のコレクションを展示しています。
ビュールレはドイツ人ですが、妻の父親が工作機械の会社を経営しており、その後を引き継ぎました。スイスの会社を買収し、機関砲等の兵器製造で巨万の富を築いて美術品の収集に振り向けました。来館者から「そのような人物のコレクションを展示することに問題はないのか」という質問がありました。しかし、作品に罪はないのでコレクターとは切り離して展覧会を企画しています。
ビュールレは大学で文学、美術史を学んでおり、単なる愛好家ではありません。彼は1936年・46歳の時からコレクションを始め、66歳で死去するまでの20年間に600点を収集しました。本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「優れたコレクションに必要な3条件は、タイミング・鑑識眼・資金」と話されましたが、ビュールレ・コレクションの「タイミング」は収集した時期が第二次世界大戦をはさんでいたことです。戦争の際には多くの美術品が動くので作品が集まりました。
ビュールレは若い頃から美術館に出入りし、学生の時、ベルリンの美術館で印象派の作品に出会っています。
1948年には戦時中に収集した13点がナチスの略奪品と判明。うち9点は元の所有者と話をして再度代金を支払い買い取りましたが、残り4点は元の持ち主に返しています。ナチスの略奪品には、いまだに行方の分からないものが多数あります。国外の美術館、特にアメリカの美術館に作品を貸し出すのを嫌がるコレクターがいます。来歴が良く分からない作品が「略奪品」だと分かると「差し押さえ」になるおそれがあるからです。
ビュールレは1956年、心臓病で死去。遺言はありませんでした。ビュールレ美術館は自宅の隣の家を改築して美術館としてオープンしたものです。1958年から2015年まで開館し、現在は閉鎖しています。スクリーンに映しているのは展示室を撮影した写真です。正面の壁に掛かっているのは本展展示のカナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》。まさに個人の邸宅に作品を展示していました。
スクリーンに映したのは、現在建設中のチューリッヒ美術館新館の完成予想図。新館の完成は2020年。ビュールレ・コレクションは新館の1フロア・約1,000平方メートルに展示。名古屋市美術館の常設展ぐらいの規模です。
なお、「ビュールレ・コレクションは600点」といいましたが、一部は売却され、ビュールレのファミリーが保有している作品もあるため財団に移管したのは200点ほどです。

講堂でレクチャを聴く会員一同

講堂でレクチャを聴く会員一同

◆本展の展示内容
◎第1章
本展は10のセクションで構成。第1章は肖像画。ビュールレ・コレクションの中核は印象派ですが、第1章は肖像画の歴史的な流れを印象派以前にまで遡って示したものです。ビュールレは美術史を学んでおり美術史を踏まえています。本展では印象派がどういう文脈の中で生まれ来たのか、印象派がその後にどんな影響を与えたのかを見てほしいと思います。
本展展示のフランス・ハルス《男の肖像》とアングル《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》を比べると、ハルスの方が新しく感じます。ハルスの描写は印象派につながるものだと思います。
印象派は絵画の革新を行ったといわれますが、印象派の作家たちに「新古典派に反旗を翻す」という意図はありませんでした。サロンの審査ではねられたから自分たちの展覧会を開いたということです。
第1章の最後にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》を展示しています。スクリーンに映したのはアメリカの雑誌「LIFE」が1954年にビュールレ・コレクションを紹介した時の写真です。ビュールレの本宅で撮影したもので前列に並ぶ作品は別の場所から持ってきました。椅子に腰かけるビュールレの後方にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》が写っています。ドガの肖像画はビュールレ邸の訪問客を最初にお迎えするために飾られていた作品でした。

◎ドガの彫刻《14歳の小さな踊り子》
ドガは後半生に彫刻を制作しています。彼は動いている人や馬の瞬間の姿を描いているので絵を描くときの参考にするため、色々な方向から自由に観察できる彫刻を作りました。ただし、展覧会に彫刻を出品したのは一回だけ。ドガの彫刻に関してはギャラリートークでお話しします。

◎ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》
 これは、とても有名な作品で「目にしたことがある」という人が多いと思います。この作品を制作した1880年はルノワールの転換期でした。1870年からの10年間は作品が売れないため、画家としての方向性に疑問を感じていました。今までのやり方を続けるのか、アカデミックな方向に移ったほうがいいのか迷い始めた頃です。
この作品の描写は1870年代に比べるとアカデミックなものです。アカデミックな描写と印象派の描写のバランスが取れているのが好かれる理由でしょう。イレーヌは銀行家カーン・ダンヴェール氏の三人姉妹の長女で当時8歳。次女のエリザベスは6歳、三女のアリスは4歳。次女と三女の二人を描いた肖像画はサンパウロ美術館が所蔵しています。イレーヌの絵と妹たちの絵を比べるとイレーヌは大人びた感じで二人の妹たちは子どもらしさを前面に出していますね。
 イレーヌの肖像は、ほぼ真横から描いた作品。ルノワールの肖像画は4分の3、スリー・クォーターの方向から描いた作品が圧倒的に多く真横の肖像は少ない。どうして真横に近いにポーズをとらせたのか良く分かっていません。真横に近いポーズが、多くの人をこの絵に惹き付ける理由でしょう。
スクリーンに映したのはイレーヌが8歳の時の写真です。イレーヌの死亡記事に掲載されたものです。8歳の時の写真といいましたが、写真の説明には「イレーヌの肖像と同じ時代に、同じポーズ・髪型、同じ衣装で撮影した写真」とあるだけです。イレーヌ本人を撮ったという確証はありません。ただ、1880年当時、イレーヌの肖像画の存在は現在ほど知られていないはずなので、別人をイレーヌと「同じポーズ・髪型、同じ衣装」で撮るということは考えられません。ですからイレーヌを撮ったのだと思いますが、確証はないのです。
イレーヌの肖像画は1881年にサロンに出品され評判は良かったのですが、家族には気に入られませんでした。使用人の部屋に飾られていたということですから、ダンヴェール家を訪問した人はイレーヌの肖像画を見ていないと思います。
スクリーンに映したのはルノワールが1879年のサロンに出品した《シャルパンティエ夫人と子どもたち》です。夫人の写真と絵を比べると本物よりも少し美人に描いています。2割増しくらいですね。2013年に愛知県美術館で開催された「プーシキン美術館展」に出品された《ジャンヌ・サマリーの肖像》も本人の写真と比べると、ご覧のとおりです。
イレーヌの肖像画が家族に気に入られなかった理由は何か。スクリーンに映したのは、カロリス・デュランの描いたダンヴェール夫人=イレーヌの母の肖像画です。カロリス・デュランはアカデミズムの有名な画家でした。イレーヌの父親もアカデミズムの画家レオン・ゴナに肖像画を描かせています。
当時、ルノワールはまだ駆け出しでした。ルノワールに肖像画を描かせたのは、イレーヌの母の友人の美術評論家から頼まれたからです。当時の人々にとって、ルノワールの絵は前衛的でアカデミックな古典的作品では無いことから気に入らなかったと思われます。今から見るとアカデミックな肖像画は冷たくて固いという印象を受けますが、それは時代による感性の違いというものです。

◎贋作事件
スクリーンに映したのは1939年6月にスイスのルツェルンで開催されたオークションを撮影した写真です。オークションにかけられているのはゴッホ《坊主としての自画像》で現在はハーバード大学フォッグ美術館が所蔵しています。
当時、ナチスは略奪した美術品をスイスでオークションにかけ、戦費につぎ込んでいました。オークションにはヨーロッパだけでなく米国からも参加があり、ビュールレもオークションに出かけています。ビュールレは《坊主としての自画像》を買おうとしたのですが落札できませんでした。《坊主としての自画像》の代わりにビュールレが買ったのはゴッホの贋作でした。
スクリーンに映したのは《坊主としての自画像》とビュールレが買った作品です。ビュールレが買ったのはイギリス人の絵描きがゴッホの模写をした作品で、本物と間違えられないように背景に花が描いたものです。今、こうして二つを比べると「ビュールレが買った作品は怪しいのでは?」と思う人が多いと思います。
実は、ビュールレが「本物だ」と思ってしまったのには理由があります。スクリーンに映したのはクレラーミューラー美術館所蔵のゴッホ《郵便配達夫ジョゼフ・ルーランの肖像》です。ご覧のように背景に花が描かれています。ビュールレはこの絵の存在を知っていました。美術の知識があったことが災いして贋作を本物だと思ったのでした。

◎ナチスが開催した「退廃美術展」と「大美術展」
スクリーンに映したのはナチスが開催した「退廃芸術展」の写真です。ヒトラーには画家を目指していた時期があり、モダン・アートを目の敵にしていました。ポスト印象派や表現主義、ピカソなどのほかユダヤ人画家の作品も精神の退廃を招く「退廃芸術」としてドイツ国内の美術館から撤去。見せしめのために、撤去した作品を展示したのが「退廃芸術展」です。展覧会で「笑いもの」にしたのです。一方、ヒトラーが好んだのは古典主義的な芸術。「人間の健全な精神を養う」として「大ドイツ芸術展」を開催しました。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
2008年にビュールレ美術館では作品4点が盗まれるという事件が発生しました。盗まれたのはセザンヌ《赤いチョッキの少年》、ゴッホ《花咲くマロニエの枝》、ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》とモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》です。
このうち、セザンヌ《赤いチョッキの少年》はビュールレ・コレクションの中で一番有名で重要な作品です。セザンヌは同じモデルの作品を4点残していますが、ビュールレ・コレクションのものが一番の出来です。
《赤いチョッキの少年》の表現は、右腕が長くて左腕は短いなど不自然なところが様々あるのですが、絵画としては調和がとれています。スクリーンに映したのは試しに普通の人体のサイズに直してみたものです。ご覧の通り絵画としてのバランスは悪いのです。
私は、セザンヌはアングルをものすごく研究していたのではないかと推測しています。スクリーンに映したのはアングル《オダリスク》です。残されたデッサンでは人体を正確に描いていますが、完成した作品では、あえて胴体を伸ばして描いています。
左腕の袖をまくっているのもアングルを参考にしているのではないかと思います。スクリーンに映したアングル《ヴァルパンソンの浴女 》では左腕にシーツを巻き付けることで、右腕とのバランスをとっています。《赤いチョッキの少年》も同じですね。
ただ、《ヴァルパンソンの浴女 》のシーツは何のために巻き付けているのか不明な「謎のシーツ」です。肘から下をどう描いたらいいかわからないのでシーツをまいたのかもしれません。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
スクリーンに映したのは歌川広重《名所江戸百景・亀戸梅家鋪》、ゴッホが油絵で模写したことで有名な絵です。《日没を背に種まく人》は、この絵の構図を取り入れています。

◎ピカソ《花とレモンのある静物》
これは1941年の制作で、ビュールレ・コレクションの中では一番新しい作品です。ピカソは第二次世界大戦中パリにとどまり、何枚も静物画を描いています。この作品は人間の五感を表したもので画面下に描かれた巻貝は「聴覚」の象徴です。巻貝を耳にあてると海の音が聞こえるといわれることから「聴覚」のシンボルとなっています。
日本人は風景や静物に「意味」を求めることはありませんが、ヨーロッパの画家は「意味」を持たない絵画を描くことができません。描いたものは、何かを象徴しているのです。

◎モネ《睡蓮の池、緑の反映》
本展は2階が入口になっています。その理由は、この作品が大きすぎて2階に持って行くことができないからです。最後に置く作品が1階にあるので入口が2階になりました。
マネはオランジュリー美術館に飾っている22枚の《睡蓮》の倍の数の作品を描いています。たくさん描いた作品の中から22枚を選んでオランジュリー美術館に展示しました。
オランジュリー美術館を飾らなかった《睡蓮》。そのうちの1枚がビュールレ・コレクションになりました。「モネ、それからの100年」のギャラリートークでも話したとおり《睡蓮》が注目されたのは第二次世界大戦後です。1番始めにモネのアトリエに残された《睡蓮》を購入したのは米国人のウォーター・プライスラー、ビュールレが購入したのは2番目です。先ず、2枚買ってチューリッヒ美術館に寄贈。もう1枚買って手元に残したのが本展の作品です。

<ギャラリートーク=展示室における解説>
講堂での解説は午後6時に終了。2階の展示室に移動して深谷副館長から主要作品の解説を聴いた後、各自、2階展示室の中を自由観覧することとなりました。
(つづく)

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会場にて「inferno」 解説してくださった特別主任学芸員の北川智昭さん、ありがとうございます 2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの