2017年 秋のツアー北陸

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor
富山県立美術館にて

富山県立美術館にて

9月23日(土)から24日(日)まで、名古屋市美術館協力会の秋のツアーに参加しました。参加者は30名。今回の目的地は、2013年(北陸新幹線開業前)のツアーと同じ富山・金沢。見学先は、富山県美術館(ただし、今回は移転後の建物)、石川県立美術館、金沢21世紀美術館が前回と同じものの、發電所美術館と毛利武士郎(もうりぶしろう)記念美術館は前回と異なります。
◆車両事故による大渋滞に遭遇するも、昼食後には10分遅れまで回復
秋の行楽シーズンとあって、名古屋駅はエスカ地下街の通路、太閤通り口の噴水前広場のいずれもツアー客ですし詰め。集合時刻には参加者全員が集まり、名古屋市美術館の橘総務課長に見送られて、観光バスは名古屋駅を8時頃出発。バスガイドさんの「土曜日が秋分の日なので、普段の土・日よりも人出が多く、渋滞でバスが遅れるかもしれません。」というアナウンスを聞いていたら、いきなり大渋滞に遭遇。「運が悪い」と嘆いていたところ、運転手さんは「一宮ICから一般道路に下り、一宮ICから高速道路へ入り直す」という奇策を取り、IC出口からIC入口までの渋滞を回避。高速道路通行料は増えましたが、時間のロスを縮めるほうが大事ですよね。

魚津にて昼食

魚津にて昼食

一宮ICを入ると間もなく事故現場を通過。休憩した長良川SAでは「7時55分頃に車2台による衝突事故」との放送が流れていました。事故現場を通り過ぎた後、バスは順調に走行。昼食会場の魚津港・海の駅「蜃気楼」に到着したのは、当初予定よりも27分遅れの12時27分。食事時間を切り詰めて、予定から10分遅れの12時50分には發電所美術館に向け出発できました。

◆下山芸術の森 發発電所美術館 (Nizayama Forest Art Museum) =富山県入善町
ツアー1番目の見学先は「NEW・BALANCE TETSUYA NAKAMURA SOLO EXHIBITION」。学芸員さんによれば、題名は「世界の新しいバランス」という意味。作家の中村哲也氏は、東京藝術大学漆芸科出身。ただし、今回出品作の塗装に漆は使っていないとのことです。

発電所美術館内

発電所美術館内

發電所美術館は北陸電力株式会社から譲り受けた「旧黒部川第二発電所」を改装した美術館。天井高約10メートルの展示室に、「独立した形体」というロボットの外、大砲の玉・爆弾で出来た(という想定の)「師範アルファ」から「師範デルタ」まで5体のロボットと「危」と書いた「危険サイン」、1メートル四方のサイコロ型ロボット「ヒーローズ」5体(ピンク、ブルー、レッド、イエロー、グリーン)、蝶の羽を貼った「タイタニック」が、2階(ロフト?)にはスーパーカー、超長大なリムジン、金色のカメの剥製が展示されていました。

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

学芸員さんによれば、「師範」は、爆弾の爆発力を使わないよう自制している姿。「ヒーローズ」は「戦隊シリーズ」のヒーローたちの40年後、50年後の古びて、すり切れた状態をイメージした姿で、サイコロ型に折り畳まれた状態で展示している、とのことでした。
なお、2階に展示の自動車は、シャープな形態だけでなく、塗装が見事でした。自動車用塗料を使っているとのことですが、「フランケン」の鮮やかな赤、黒、ガンメタルや、「レプリカカスタム」の玉虫色には「さすが、漆芸科」と感心しました。展望塔の眺望も素晴らしかったです。

◆毛利武士郎記念館 =富山県黒部市
ツアー1日目、2番目の見学先は保崎係長の提案で、「シーラカンス毛利武士郎記念館」。緩やかな山道を登ると、アトリエらしき建物。周囲は田んぼで、美術館があるとは想像できません。造形作家の柳原幸子さんが出てきて、我々を美術館に招き入れて下さいました。

中はこんな感じです

中はこんな感じです

保崎係長によれば、毛利武士郎(1923-2004)は1950年代、活発に抽象彫刻を発表した作家で、「シーラカンス」は1953年に第5回読売アンデパンダン展に出品した代表作の題名(現在、東京都現代美術館が所蔵)。高く評価されていたが1960年代から新作の発表を絶った後、1983年開催の富山県立近代美術館「現代日本美術の展望―立体造形」展に出品したレリーフ状の新作《哭Mr.阿の誕生》によって再び脚光を浴びた。当時の展覧会を担当した学芸員は、現在、独立行政法人国立美術館理事長の柳原正樹氏。毛利氏と柳原氏の交流はその後も続き、1992年に毛利氏は東京から富山県黒部市へアトリエ兼住居を移転。移住後に、金属の塊をコンピュータと連動した工作機械で加工した新作を発表するようになる。毛利武士郎記念館は毛利氏死去10年後の2014年に、柳原氏が毛利氏の遺志に従ってポケットマネーでアトリエ・工作機械室を改装した美術館。柳原幸子さんは柳原氏の奥様、とのことでした。(毛利武士郎記念館のパンフレットで一部補足)

美術館には《哭Mr.阿の誕生》を始めとする毛利氏の作品が展示されていました。柳原幸子さんは「毛利氏は新作の発表を絶っていた期間、作家仲間の向井良吉が社長を務める、京都のマネキン制作会社「七彩」の東京支社を任されていた。《哭Mr.阿の誕生》には、マネキンの型取りに使っていたアルギン酸(海藻を原料にした糊)を使用。また、工作機械で加工した新作は、金属の表面と内部を削った後、内部の空間に金属を埋めるという凝った作り方をしているが、2つのパーツに分かれている《絶作》(2004年)は、合体して金属を埋めるという工程前の未完成品なので、内部が埋まっておらず、その構造がよくわかります。」と、話されました。
◆富山県美術館の概要
ツアー1日目、最後の見学先は、富山県美術館。富山県立近代美術館の収蔵品を引き継ぎ、本年8月27日にリニューアル・オープンしたばかりです。屋上には大勢の人影が見えました。

屋上オノマトペ

屋上オノマトペ

富山県美術館の丸山学芸員に案内されて2階へ上がり、天井高11メートルの吹き抜けのホワイエで、レクチャーを聞きました。丸山学芸員によれば、美術館の建物は地上3階建。屋上はグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがデザインした遊具で遊べる「オノマトペの屋上」(入場無料で、開館時間8:00~22:00)。どのフロアからも立山連峰が見えること、地元産の素材(窓枠の装飾に三協アルミのアルミニウム、廊下の壁に氷見の里山杉)を多用していることが特色。2階の展示室1は、常設展。展示室2~4は、開館記念の「LIFE」展。屋外広場には彫刻家・三沢敦彦氏のクマ(ブロンズ・ウレタン塗装)を展示(写真撮影可)。ただし、木彫のクマは屋内。3階の展示室5は、ポスターと椅子を中心としたデザインコレクション。展示室6は、富山県出身の美術評論家・瀧口修造と世界的なバイオリニスト・ゴールトベルクのコレクションを展示。ホワイエから見える池の周辺は富岩運河の船溜まりを再整備した富岩運河環水公園(ふがんうんがかんすいこうえん)。池の畔にはフランス料理店「ラ・シャンス」がある、とのことでした。
また、バスの中で聞いた保崎係長の話では、開館記念展は「ご祝儀」の展覧会で、日本国中の美術館から名品が集まっており、常設展も充実しているので、2時間あっても見学時間が足らないと思います。見たいものを絞って見学してください。また、瀧口修造はシュールレアリズムを日本に紹介した重要な評論家、とのことでした。
◆開館記念展、コレクション展、屋上広場など
保崎係長の言葉どおり、開館記念の「LIFE」展は、まさに「ご祝儀」の展覧会でした。日本国中の美術館の名品が、「これでもか」と言うほど集結しています。今まで他館の展覧会に貸し出して来た恩を、今回返してもらったということでしょうか。「ご祝儀」のなかでも、デユ―ラー《騎士と死と悪魔》、クリムト《人生は戦いなり》は、特別待遇。美術館の白い壁に黒い台座を貼った上に額を取り付けており、とても目立ちました。富山県美術館のコレクションも多数展示。
本来なら2つの展示室を使うコレクション展は、開館記念展にコレクションを出品しているため1室に縮小。それでも、ピカソ《肘かけ椅子の女》、シャガール《山羊を抱く男》アンディ・ウォーホル《マリリン》、ジョージ・シーガル《戸口によりかかる娘》などは常設展に残しています。なかでも、藤田嗣治《二人の裸婦》は、隣に寄付した会社・個人の名前が掲示され、作品の前にはA5版の解説が積まれていました。
3階の展示室5には、平場だけでなく壁に設置した3段の棚にも椅子が置かれていました。ポスターは壁でなく天井から吊るした透明なパネルの中に収められ、宙に浮いているような展示です。また、展示室6の瀧口修造コレクションは真っ暗な部屋。壁に設置された4段の棚に収められたコレクションだけに光が当たっており、とてもおしゃれな展示でした。
見学時間が残りわずかとなりましたが、屋上に上がると大勢の家族連れと若い男女が遊んでいました。広場の西側に行くと、足元に「いたち川」の細い流れ、その向こうに「神通川」の雄大な流れ、目を上げると正面に加賀藩と富山藩の境、「呉羽山」が見えます。1階まで下りて芝生に出たら、コウモリが飛んでいました。川辺なので、餌になる虫が飛んでいたのでしょうね。
◆石川県立美術館

ツアー2日目、午前中の見学先は石川県立美術館。保崎係長はバスの中の事前説明で、企画展「燦(きら)めきの日本画 石崎光瑤と京都の画家たち」について、「石崎光瑤(いしざきこうよう)は、花鳥画尾を得意とする作家で、画力があり技術も高いが、戦後は忘れられた作家となっている。現在、石崎光瑤のような『主流ではない、もう一つの美術史の流れ』に光を当てようという動きがある。この企画展は注目したい。」と話していました。
石川県立美術館の前田学芸員からは「上村松篁は17歳の時に見た、石崎光瑤《燦雨》(さんう)(1919)に憧れて画家を目指した。石崎光瑤と同じテーマの絵を描くためインドに取材し、約50年後に同じ題名の《燦雨》(1972)を発表。なお、石崎光瑤は現在の富山県南砺市福光の出身で、17歳のとき金沢市に出て江戸琳派の流れを汲む山本光一に学んだ後、19歳で京都の竹内栖鳳に師事した画家。」との解説がありました。また、常設展の見どころは国宝《色絵雉香炉》と重要文化財《雌雉香炉》で、「現在の石川県立美術館を建設する際、寄贈を受けた《色絵雉香炉》の展示室を設けることが条件になっていた。また、雄だけでは可哀そうだということから東京の水野富士子さんから《雌雉香炉》の寄贈があり、300年ぶりの雌雄対面となった。」との説明がありました。
「燦めきの日本画」では、上村松園《花》に惹かれて展示室7に入り、右へ右へと展示を見たのですが、何か変。展示室入口の戻り、順路を逆に見ていたと気付きました。順路に従い、山本光一《時代江屏風》から順に見て、流れがつかめました。
展示室8の土田麦僊《髪》、村上華岳《二月の頃》は、いずれも京都市立絵画専門学校の卒業制作ですが、若い時から上手いですね。竹内栖鳳は百匹の雀と洋犬・仔犬を描いた《百騒一睡》、船の舳先に烏が止まっている《春雪》、水墨画の《水村》の3点が展示されていました。石崎光瑤《燦雨》は展示室8で、上村松篁《燦雨》は展示室9だったので、何度も行ったり来たりしました。二つの作品、同じテーマですが、見た印象は全く違います。何故か解りませんが、石崎光瑤は煌(きら)びやかで、上村松篁はさっぱりしていました。
常設展では、「前田家の名宝」の岸駒《松下飲虎図》と「北陸ゆかりの画聖Ⅱ」の岸駒《虎図》と《兎福寿草図》、久隅守景《四季耕作図》が印象的でした。また、鴨居玲の展示室の奥に郷土の作家の風景画が展示されており、一瞬、「鴨居玲の風景画?」と思ってしまいました。
◆金沢21世紀美術館 館長さんからのレクチャー

金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館

ツアー最後の見学先は金沢21世紀美術館。レクチャーホールで待っていると登場したのは、何と、島敦彦館長。自己紹介によれば、ご本人は富山県出身で富山県立近代美術館に勤務後、国立国際美術館に長く務め、2015年4月から2017年3月末まで愛知県美術館館長、同年4月に金沢21世紀美術館に就任されたとのことでした。3月まで名古屋市にお住まいだったこともあり、終始フレンドリーな雰囲気でお話をされました。

レクチャーは、金沢21世紀美術館の目指すものは「新たな文化の創造」と「新たなまちの賑わいの創出」という話から始まりました。「新たなまちの賑わいの創出」という美術館としては珍しい目的が掲げられた理由は、美術館が金沢大学附属小学校・中学校の跡地に建っていることにある。付属小学校・中学校だけでなく金沢大学も移転することから、美術館には大学移転による賑わいのロスを挽回することが求められていた、とのことのでした。
現代美術の美術館という構想を立てたのは初代館長の長谷川裕子氏(前任は水戸芸術館)で、レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》は建物の建設と並行して作品の構想・整備を行うという離れ業で完成させたとのことです。
金沢21世紀美術館の入場者数について、当初目標は年間30万人でしたが、開館10年後の2014年には年間150万人を超え、昨年度は年間250万人を突破。入場者の増はうれしい反面、チケットを買うために長蛇の列ができる(入場者の4分の1から5分の1が有料入場者)こと、入場者の靴についた細かい砂が《スイミング・プール》に落ちて、透明アクリル板に細かいキズが付くことなど、悩みもあるそうです。
◆金沢21世紀美術館 企画展・コレクション展など

金沢21世紀美術館ではいくつもの企画展・コレクション展が並行して開催されており、一番賑わっていたのは「ヨーガン・レール 文明の終わり」でした。島館長によれば、ヨーガン・レールは4年前、事故で亡くなった作家で、晩年は石垣島に暮らしていた。作品は浜辺に打ち寄せられた廃品のプラスチックから作った美しい照明。死因は、廃品を採集するため浜辺に向かう途中で起こした自動車事故とのこと。「文明の終わり」のうち展示室13は、鏡代わりのステンレス板が壁に貼られた薄暗い部屋で、薄暮のランタン・フェスティバルという風情。「インスタ映え」する展示なので、若い男女がひしめき合い、誰もが自撮りに夢中でした。また、展示室5に展示の、表面に縞模様のある瑪瑙(めのう)の小石にも目を惹かれました。
「日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展」では、針金で作った照明器具に紙袋を被せただけの、イサム・ノグチ《あかり 1P》や二つの「曲げわっぱ」で布を挟んだ《パン籠》が印象に残りました。このパン籠なら、焼き立てのトーストが湿ることはないでしょう。
この外、コレクション展「死なない命」や無料エリア「長期インスタレーションルーム」で開催されていた「アペルト07 川越ゆりえ 弱虫標本」などを楽しみました。金沢21世紀美術館は「小さなテーマパーク」でしたね。
◆帰路、渋滞の影響は僅か
2013年の北陸ツアーでは、車両事故による北陸自動車道通行止めというアクシデントに遭遇して、予定から1時間半遅れの午後8時半に名古屋到着したので、「ひょっとして今回も」と恐れていましたが渋滞の影響は僅か。名古屋駅到着は予定から10分遅れの午後7時10分でした。
企画の松本さま、ツアー・コンダクターの小山さま、運転手さま、バスガイドさま、ありがとうございました。また、ツアー参加者のみなさま、おつかれさまでした。       Ron.

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