さいたまトリエンナーレ2016(交流会編)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

 市民会館おおみや、大宮市役所の作品を見終ったところで、今日3本目のガイドトークも終了。その後、場所を移し、「さいたまトリエンナーレ」(以下、さいトリ)のボランティアメンバーと情報交換をしたのだが、その時のエピソードを2つ紹介する。

さいたまトリエンナーレ 交流会にて

さいたまトリエンナーレ 交流会にて


その1)アーカイブを残そう
さいトリボラのAさんによれば、3年後のさいトリ開催のためにも、今回の記録を、日本語、英語で残すことを計画しているそうだ。しかも、他人依存ではなく、自分たちで!
すばらしい。

その2)来年も会おう
交流会もお開きになる頃、さいトリのスズキさんから「来年のヨコハマトリエンナーレで会いましょう」と提案があった。(全員に聞こえなかったかも知れないが)
ぜひ実現してほしい。それから、3年後のさいトリ2019も楽しみにしている。

そういえば、「あいちトリエンナーレ」(以下、あいトリ)には、豊田市美術館ボランティアのスズキさん、美術検定にチャレンジしているスズキさん、丸の内OLのスズキさん・・・と大勢のスズキさんがいるのだが、さいトリには何人のスズキさんがいるのだろう。来年、横浜美術館のロビーで自己紹介を始める前に、ぜひご自分のニックネームを考えておいてほしい。そうしないと、きっと呼びかけるのに困ってしまうから。

杉山 博之

さいたまトリエンナーレ2016(大宮編)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

《たまご から から》(西尾路子)

240の棺/Arigatou Sayounara

240の棺 行列、行列、行列、行列、


 市民会館おおみやで見た《たまご から から》(西尾路子)は、楽しいけれど、考えさせられる作品だった。山盛りの卵(中身を食べた後の空の殻)の入った大きな鍋、配膳台、調理台の上に並べられた小さな木箱。矢印のようにも、子供靴のようにも見えるその木箱は、よく見ると、まるで棺のようだ。全部で240組の木箱には連番がつけられ、厨房出入口右側のNo.001から、ぐるぐると厨房をめぐって厨房出入口左側のNo.240まで続く。
キャプションには「240の棺/Arigatou Sayounara」とあった。

未来食堂にて たまごかけごはん

未来食堂にて たまごかけごはん


この作品を見て真っ先に思い出したのが、前日、神保町の未来食堂で食べた「たまごかけごはん」のことだった。この日は、店主の小林せかい氏がウーマン・オブ・ザ・イヤー2017に選ばれ、その受賞式直後とあって、ランチメニューが売り切れており、ご厚意で出していただいたメニューが「たまごかけごはん」だったというわけ。2重の意味で印象深い作品と食事だった。

未来食堂にて 今日は早じまい

未来食堂にて 今日は早じまい

 さて、今回参加したガイドトークは、「あいちトリエンナーレ」(以下、あいトリ)のキュレータートークに当たるもので、いわゆるレクチャー型の作品解説だった。このトークの長所は、作品だけでなく、作家のこと、制作された時代背景等についても客観的で、豊富な情報を得られることだろう。例えるなら、有名シェフのコース料理を楽しむようなものだろうか。
一方、あいトリでガイドボランティアが実施していたのは、いわゆる対話型トークだった。このトークの長所は、観客とガイドが一緒に作品を見ながら、対等な立場で作品の感想を話しあい、共感したり、意見の違いに気づいたりできることだろう。日によって参加する観客も変わるし、ガイドも変わるのでトークの内容も変化する。例えるなら、居酒屋で出される旬の食材を使った小皿料理のようなものだろうか。
 作品解説として、どちらか一方のトークがあればいいということではなく、観客からすれば両方あったほうがきっと楽しい。「おもてなし」の一環として、次回のさいたまトリエンナーレ2019では、ぜひボランティアのトークを聞いてみたい。

杉山 博之

さいたまトリエンナーレ2016(岩槻編)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 浦和から移動し、岩槻駅からシャトルバスで旧民俗文化センターに到着。
(さいたま市に行ってとまどったことが駅名。○○浦和や、□□大宮がたくさんある。昨日のメールではないが、目的の駅名と電車の時間をきちんとメモしておかないと、「合流」できない事態になるかも。)

《Elemental Detection》(目)
旧民俗文化センターの建物の左側の雑木林の中で、とても気持ちの良い作品を鑑賞することができた。ただし、「撮影禁止」かつ、「口外禁止」。
足元に注意して、小枝のトンネルをくぐって見に行く価値ありとだけ記しておく。

《帰ってきたJ.L.》(小沢剛)
 展示室で鑑賞中、後ろから「!#$%&¥」と、どこかで聞いたような声がするので振り返ると、会田誠氏が立っていた。尊敬する作家本人が目の前にいて、落ち着いて作品を見ていられそうになかったので、挨拶だけして次の展示室に向かうことにした。10分くらいの映像作品だったと思うが、よく覚えていない。タイトルのJ.L.とはジョン・レノンのことらしい。

《帰ってきたJ.L.》は扉の向こう

《帰ってきたJ.L.》は扉の向こう


会場スタッフに聞いたところ、いろいろ展示会場がある中で、ここ旧民俗文化センターの展示が一番人気なのだそうだ。たしかに、《感覚の洗濯》(西尾美也)、《ボイジャー2011》(藤城光)など、印象に残るものが多かった。

杉山 博之

さいたまトリエンナーレ2016(浦和編)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

「あいちトリエンナーレ」(以下、あいトリ)のボランティアメンバーと「さいたまトリエンナーレ」(以下、さいトリ)を見てきた。
目的はディレクターの芹沢高志氏のガイドツアーを体験することと、さいトリのボランティアメンバーと情報交換すること。
 さいトリは名前のとおり、さいたま市で3年ごとに開催される国際芸術祭で、今年が初回、テーマは「未来の発見!」。会場はさいたま市内(浦和、大宮、岩槻)に分散している。

 今回のツアーも2年前の「ヨコハマトリエンナーレ」(以下、ヨコトリ)ツアー同様、現地集合・現地解散だった。加えて、直前になっても誰が参加するのか不明というミステリーツアー企画だった。出発の前日、メールで「明日はよろしく。合流できますように!」という短文が届き、本当に大丈夫?と心配になったことを思い出す。

以下、会場ごとに気になった作品をレポートする。

《アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト》(鈴木桃子)

アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト

アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト


 この作品は、真っ白に塗られた室内の壁面に直接シャープペンシルでドローイングされたもの。さいトリ期間中、作家が一人で延々と線を描き続け、天井と床を除く壁面には細胞のような模様がびっしりと描きこまれている。しかし、この作品の面白さは、一見シンメトリーで複雑な線描でもなければ、そのスケール感でもない。床を見ると大量の消しゴムのカスが散乱していて、これは観客が消しゴムで線描をこすった時のカスらしい。
観客の皆さんの手には消しゴム

観客の皆さんの手には消しゴム


つまり、この作品には作家=描く、観客=それを消すという、観客参加の仕掛けがある。消しゴムで消すと言っても、線描の痕跡はかなりはっきりと残るので、余白と消え残った線描とまだ消されていない線描を鑑賞することがこの作品の作法らしい。
 作品に込められたメッセージは「叩きつぶされても、立ち上がれ」。技法はシンプルだが、エネルギーのある作品だった。ちなみに、この作家は持ち運びのできる紙や板などには描かないそうなので、気になった人は現地に行って見るしかない。
期間は2016年12月11日まで。

杉山 博之