ボギー的美術鑑賞法 その10

カテゴリ:アート見てある記,ボギー鈴木 投稿者:editor

毎年恒例の、春のツアーが29日に開催されます。
ゴールデンウイーク期間に、頼まれもしないのに、下見をしてきたので、その報告をします。ネタバレはしませんが、新鮮な気持ちで参加したい方は、読まないでください(苦笑)。

最初に行く国立国際美術館の「森村泰昌 自画像の美術史」は全作品とも写真が撮れます。どんどん撮りましょう。ただ、60分を超える長編映像があるのですが、今回のツアーでは、残念ですが全部観られないでしょう。

コレクション1では、1970~80年代にデビューし注目を浴びた関西の版画家たちを、また、田中一光ポスター展もやっています。正直、地味な感じです。

2番目に行く、大阪市立東洋陶磁美術館の「宮川香山展」では、4点ほど写真撮影が可能です。常設展では。中国や韓国の陶磁が展示されているので、宮川香山の作品と比較して観るのも面白いかもしれません。

この後は食事ですが、早く食べ終えた方向けの観光スポットには、大阪市公会堂や、大阪市立中之島図書館があります。京阪電車なにわ橋駅のアートエリアB1では、「ニューコロニーアイランド 2 災害にまつわる所作と対話」という写真と映像の展示(無料)をやっています。いずれもゆっくりと観る時間はないと思いますが、食後の運動がてらという感じでしょうか。

最後に行く、アサヒビール大山崎山荘美術館は導線がやや複雑です、建物の見どころ満載なので、作品と一緒に観るのがお勧めです。野外にも彫刻もあり、お庭も素敵なので、少し見学時間を残しておいて、そちらも観たいところです。以上、駆け足で私が観た感想などを書きましたが、参加者一人ひとりが自由に観ること基本であることは言うまでもありません。ただ、限られた時間の中で知っておいた方がよいと思うこと書いたつもりです。29日は天気もも良さそうですので、今から楽しみです。なお、急に暑くなりましたが、館内では寒く感じることがあるので、何か上着を持って行くことをお勧めします。

ボギー鈴木(自称、名古屋市美術館協力会最高顧問)

「藤田嗣治展」-東と西を結ぶ絵画- ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「藤田嗣治展」-東と西を結ぶ絵画-(以下「本展」といいます。)のギャラリートークに参加しました。当日は、参加者が70名と多いため、講堂で深谷副館長によるレクチャーを聴いた後、展示室に移動して質問に答えながら鑑賞するという方式になりました。

Ⅰ 深谷副館長のレクチャー
◆藤田嗣治の親族
藤田の父、嗣章は軍医で森林太郎(森鴎外)の後に軍医総監を務めた人物。親族は陸軍関係者が多く、お兄さんは児玉源太郎の娘と結婚。小山内薫、岡田三郎助、蘆原英了、芦原義信も縁続きという家系。
◆渡仏した藤田
藤田は、森鴎外の助言で東京美術学校に進学。卒業後、1913年に渡仏。当初はキュビズムの洗礼を受けたが、「流行を追っているだけでは芽が出ない。他とは違うことをやらなければ」との思いから、中世、ルネサンス、バロックなど古い時代のものを取り入れた、単純化されたプリミティブな作風を模索。その後、日本文化を取り入れて1920年~1921年にかけて、乳白色の裸婦を描き始める。当時の絵は、モノクロームに近いもので、細い輪郭線が特徴。
また、藤田は多くの自画像を描いている。レンブラント、ゴッホも自画像を描いているが、藤田の場合は、自分をアピールするための道具であった。おかっぱ頭、ロイド眼鏡、ちょび髭、ピアスという藤田自身がスターのような存在となっていった。
藤田のように自己プロデュースする画家は、当時、非常に珍しい存在で、世間の注目を集めた。その反面で「絵が評価されているわけではない。奇抜なことをやって有名になっただけ。」と、同じ絵描き仲間が面白おかしく話したことが、日本での悪評の発端になった。
◆世界を巡り歩く藤田
 1931年から1933年にかけて藤田は中南米を旅するが、その背景には1929年の世界大恐慌を発端として、世界が不況の時代に入ったことがある。また、藤田はヨーロッパでは評価されたものの、日本では「日本の様式を洋画に持ち込んだだけ」と、正当に評価されなかった。この時代は、試行錯誤を繰り返し、日本で評価されないという状況を打破しようと模索した時期でもある。
 《ちんどんや 職人と女中》のように日本情緒の絵を描いたり、銀座コロンバンの壁画としてロココ風の《貴婦人と召使い》や《田園での奏楽》を描いたのもこの頃。
◆戦争画について
 1930年代の終わりには、多くの画家が従軍した。この時、大家であった横山大観は、高齢のため戦地に赴いていない。宮本三郎、小磯良平といった従軍画家は20代から30代で、当時50代の藤田が画家たちのリーダーとなっていった。
豊田市美術館所蔵の《自画像》は、紀元2603年1月1日に描かれたもので、1920年代の自画像と違って、暗く、決意を込めた表情の絵である。
 これはあくまでも個人的な見方だが、《アッツ島玉砕》は有名であるものの、藤田の戦争画の大作は失敗作だと思う。藤田は、大画面を描くのは不得意。秋田県立美術館の《秋田の行事》も失敗作ではないか。50号くらいのサイズに一人から二人くらいの人物を描くのが、藤田にとって一番個性を生かせる絵ではないかと思う。
《アッツ島玉砕》について、最初、軍部は発表をためらったという話がある。「全滅」を「玉砕」つまり「玉と砕ける」と美しく言い換えたものの、「玉砕」の絵は戦意高揚に支障があると思っていた。ところが発表すると、国民の反応は正反対で戦意高揚となった。藤田は「あっという間に描いた」と書いており、国民の反応まで計算していたのではなく、乗りに乗って画家としての本能の赴くまま描いたのではないかと思う。
◆子どもの絵
 戦後になって、藤田は絵描き仲間から戦争責任を追及され、1949年に日本を去ることになる。
 再度、フランスに渡ってから描いた絵は《校庭》や《小さな主婦》(いづみ画廊所蔵)のような子どもの絵を多く描いている。これらはベルエポックの頃のフランスを思い起こさせる絵。人々も、戦火で荒廃する前の昔を懐かしむことができる絵を求めていた。
◆宗教画
 藤田は1955年にフランス国籍を取得、1959年にカトリックの洗礼。最晩年は、ランスに礼拝堂を作ることに力を注ぎ、多くの宗教画を描いた。《二人の祈り》は、フランス国籍を取得する前の1952年に描いたものであるが、死ぬまで手許に置いていた。《礼拝》には藤田と君代夫人の外、最晩年を過ごしたヴィリエ=ル=バクルの家も描いている。

Ⅱ 展示室で深谷副館長が語ったこと
◆乳白色の下地の秘密、《五人の裸婦》の前で
土門拳が撮影した写真にシッカロールの缶が写っていたことから「乳白色の下地にシッカロールを使っていた」と言われている。土門拳が写真を撮影したときはそうだったかもしれないが、1920年代にどうしていたのかは、「わからない」としか言えない。それこそ、ひとつひとつ違う。
藤田の絵を修復したときに、絵の具の成分を調べたところ、墨で描いたと思われていた線から炭素が検出されなかった。これは、墨ではなく油絵の絵の具で線を描いたということ。しかし、これは「たまたま、絵の具の成分を調べた絵では墨を使っていなかった」ということであって、他の絵については調べてみないと分からない。
◆東京国立近代美術館所蔵《自画像》の前で
 この絵は、長い間、藤田の遺族の手許に置かれ、その後、東京国立近代美術館に寄贈されたもので描いた時のまま、修復されたことがない。そのため、藤田の作品を見るときの「標準」になる可能性がある。
 また、この絵と藤田の写真を比較すると、絵は写真よりも顎が少し細くなっており、「演出」を加えていることが分かる。絵には墨、硯と面相筆が描かれているが演出かもしれない。
◆作品出品リスト及び図録では「展示」だが、実際には展示されていない作品
 先ごろの熊本地震の影響で、搬入出来なかった作品が二つある。一つは、鹿児島市立美術館所蔵の《座る女性と猫》、もう一つは熊本県立美術館所蔵の《裁縫道具のある静物》。どちらの美術館も地震による被害はなかったが、道路事情が悪くて美術館に近づくことができず、搬入を断念した。ただし、7月16日からの兵庫展(兵庫県立美術館)以降は展示される予定。

<お詫び>
 先にブログに載せた「読書ノート 林洋子著 「藤田嗣治 手しごとの家」に『藤田展第3章に《裁縫道具のある静物》が展示されています。』と書きましたが、これは間違いです。申し訳ありませんでした。
うろ覚えだったので、作品出品リスト及び図録を見て書いてしまいました。手抜きは、いけませんね。反省しています。
         Ron.

豊田市美術館:デトロイト美術館展

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 豊田市美術館で6月26日(日)まで開催中のデトロイト美術館展(以下「デトロイト展」といいます。)が「必見」と評判なので、連休最後の日(5/8)に行ってきました。午後0時45分頃に着いたのですが、駐車場は満車に近い状態。「長蛇の列」はありません。しかし、2時近くなると展示室も、かなり混んできました。
◆珠玉の52点で、19世紀後半から20世紀前半の美術を俯瞰
みだし言葉はチラシから拾ったものですが、その通りでした。ただし、「再入場不可」なので、何度も行ったり来たりして、じっくり鑑賞しましょう。
◆1章 印象派(モネ、ルノワール、ドガなど)
クールベ《川辺でまどろむ浴女》から展示が始まります。下腹が出て、理想的なスタイルとは言えない裸婦ですが、そのぶんリアリティーがあります。また、木漏れ日の描写がよくわかります。ピサロ《小道》は空の描写がいいですね。
◆2章 ポスト印象派(ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなど)
ゴッホは《自画像》が目玉ですが、《オワーズ川の岸辺、オーヴェルヌにて》は、どことなく不気味で、映画「13日の金曜日」のラストで水中からジェイソンが飛び出すシーンを思い出しました。ルドン、ドニ、ボナールの絵もあります。ヴァロットン《膝にガウンをまとって立つ裸婦》は、意味あり気で不穏な印象でした。
◆3章 20世紀のドイツ絵画
ドイツ表現主義の絵画は、愛知県美術館の常設展とのつながりを感じます。県美の収集方針は「20世紀の絵画」ですから、当然といえば当然のことなのですが。
キルヒナー《月下の冬景色》は、夜なのに月も空も樹木も真っ赤という非現実的な絵で、びっくりします。
◆4章 20世紀のフランス絵画
ピカソ、マティスだけでなく、モディリアーニの作品が3点あります。なかでもピカソは、バラ色の時代、キュビスム、シュールレアリズム、古典主義と時代の異なる作品が並んでいるので、作風の違いがよく分かります。
◆山本富章  斑粒・ドット・拍動
展示室1をいっぱいに使って、幅13メートルで強烈な色彩の作品《Festival on the Stage》が展示されています。また、木製洗濯バサの部品に小さなドットを描いた無数の《bugs》がアトリウムの壁や柱に規則正しく張り付いています。どちらも、広い空間でないと楽しめない展示ですね。
◆7月15日からは「ジブリの立体建造物展」と「杉戸洋」展
 「ジブリのアニメは芸術じゃない!」という方は別として、次回の展覧会も見ようという人には3000円で「年間パスポート」を買ってからデトロイト展を見ることをお勧めします。「年間パスポート」を提示すると、一緒に入館した人の観覧料が団体料金になる「同伴者割引」(人数制限なし)などの特典もあります。
Ron.

読書ノート 林 洋子 著「藤田嗣治 手しごとの家」集英社新書ヴィジュアル版 015V

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

6月4日に名古屋市美術館で林洋子さん(美術史家・文化庁芸術文化調査官)の講演会があるので「参考になる本はないか」と地元の図書館に行ったところ、この本に出会いました。写真や図版の多い、206ページのコンパクトな本です。主に、パリ郊外に残る藤田晩年の旧宅に残る、彼の手づくりの品や遺愛の品をたどるものですが、現在開催中の「藤田嗣治」展(以下、「藤田展」といいます)を鑑賞するヒントもあります。
◆メゾン=アトリエ・フジタ
この本が紹介する藤田の「最晩年の家」メゾン=アトリエ・フジタは、1991年に君代夫人が地元のエソンヌ県に寄贈。その後、改修を経て2000年9月に一般公開されたものです。藤田展の第6章に展示の《礼拝》画面左上には、この「最晩年の家」が描かれています。
◆建築物のマケット(模型)
 藤田展の第5章の《室内》は、建物のマケット(模型)を描いたものですが、この本には《室内》のモデルとなった「1948 NOTRE MAISON PAR FOUJITA」と書かれたマケットの写真と、土門拳が撮影した、アトリエでのマケットと藤田の写真が掲載されています。
◆「裁縫道具」の絵が展示されている理由
 藤田展の第3章に《裁縫道具のある風景》が展示されています。「なぜ、裁縫道具?」と思ったのですが、この本に「(藤田が着ているシャツ)の多くは自分でミシンや手で縫いあげたものでした。小柄な彼がサイズにあった市販品をパリで見つけにくかったことも理由のひとつでしょうが、彼は確実に、「縫う」「布に関わる」という行為に魅せられていました。」と書いてあるのを読んで、納得。映画「FOUJITA」でも、ミシンを使っているシーンがありましたね。
◆大工仕事
 昨年、岐阜県美で開催された「小さな藤田嗣治展」では手製の額に収められた小さな絵が多数展示されていましたが、この本によれば、額の自作が本格化するのは「30年代半ばに日本に定住して以降のこと」で、「手づくり好きが、それを加速しました。」、「《美しいスペイン女》の額にも1949年の年記とサインがあり、人物と動物の素朴なレリーフの間にハート形が連なっています。」とのことです。
◆平野コレクション
 藤田展の第3章には「公益財団法人平野政吉美術財団」所蔵の作品が多数展示されていますが、この本には「秋田の素封家平野政吉は、1929年の藤田の東京でのふたつの個展と帝展に魅せられ、30年代の藤田の最大のコレクター兼支援者となりました。」と書いてあります。
なお、藤田展の第4章に展示されている《東京の私のアトリエ》と《私の画室》に描かれた、茶釜を染め抜いた藍染ののれんは、映画「FOUJITA」にも登場していました。
◆筆まめな藤田
藤田展の第2章には、インク壺とペン、吸い取り紙、パイプを描いた《インク壺の静物》が展示されており、第5章の《カフェ(習作)》にもインク壺とペンが描かれていますが、この本には、「(藤田は筆まめで、特にニューヨーク滞在中は)数多くの絵画と、そして手紙と日記を残しています。」と、書いてあります。藤田がインク壺とペンを描いた理由が分かりました。
◆定価など
 「定価 本体1100円+税」とあります。図書館で借りるのもよいでしょうね。    Ron.

2017_ジャコメッティ_1 富山県立美術館にて BankART_大霊廟Ⅱ プライウッド新地 ヨコトリ_パオラ・ピヴィ_まだ誰も来ない MOTサテライト 目印はこれ! 河村るみさんをお迎えして 急遽解説してくださった角田学芸員 アルテピナコテーク さいたまトリエンナーレ 交流会にて 240の棺/Arigatou Sayounara