「ルノワールの時代」展

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 金山の名古屋ボストン美術館で8月21日(日)まで開催中の「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」展(以下「本展」といいます。)に行ったところ、平日の昼でしたが、意外に人出がありました。以下は、個人的な感想です。
◆バルビゾン派からドイツ表現主義までの名作を展示
 ルノワール(1841-1919)の作品は、多くの日本人を魅了してきました。本展では彼が生きた時代、19世紀半ばから20世紀初めまでの、ミレー、コロー、モネ、ゴッホ、ロートレック、キルヒナー、アンドレ・ケルテスなどの油絵、版画、写真を展示しており、さながら美術史の教科書のようです。
◆テーマは「都会」「郊外」そして「田舎」
 展示室を入ると、最初にドガ≪美術館にて≫とミレー≪木陰に座る羊飼いの娘≫の2点があり、本展が「都会、郊外そして田舎が、この時代のヨーロッパの人々にとってどんな場所であったのかをテーマにしている」との説明があります。
 説明の通り、展示されている絵画はモネ≪チャリングスロス橋(曇りの日)、1900年≫の都会の美、ゴッホ≪機を織る人≫の都会の闇、ロートレック≪田舎への行楽≫の郊外に旅するウキウキ感、キルヒナー≪クラヴァーデルからの山の眺め≫の雄大な自然など、様々な「都会」「郊外」そして「田舎」が描かれています。
◆ルノワールの作品は4点
 肝心のルノアールの作品は、チラシやポスターに使われ「米国ボストン美術館で最も愛されている作品」といわれる≪ブージヴァルのダンス≫を始め、≪ガンジー島の海辺の子どもたち≫、≪ピクニック≫(三菱一号館美術館寄託)、≪マッソーニ夫人≫(個人蔵)の4点。いずれも明るくルノワールらしい絵です。
◆アメリカやドイツの作家も
 また、フランスの作家一辺倒ではなく、サージェントなどアメリカの印象派やドイツのマックス・クリンガー、ケーテ・コルヴィッツ、マックス・ベックマンの版画なども展示しており、様々な傾向の作品を鑑賞できました。
◆関連年表を読みながら考えた
 本展で勉強になったのは、キャプションで時代背景についても簡単に触れていることです。出展リストには「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」展関連年表もついています。年表を見て、ルノワールの死去とベルサイユ講和条約の調印とが同じ年であることを知りました。
 バルビゾン派からドイツ表現主義までの絵画の背景となる、19世紀後半以降のヨーロッパの歴史は、恥ずかしながら、高校の世界史できちんと学んだ記憶がなく私には断片的な知識しかありません。展示されている絵画の時代背景には、ナポレオン3世の皇帝即位や普仏戦争、パリ・コミューンなどの出来事があるという「知っていて当たり前」のことに気づいただけでも収穫でした。
Ron.

名古屋市博物館 「アンコール・ワットへのみち」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市博物館で開幕した「アンコール・ワットへのみち インドシナに咲く神々の楽園」(以下「本展」といいます。)のミニツアーに参加しました。参加者は25名。1階の展示説明室に集合して、藤井学芸員(以下「藤井さん」といいます)の解説を聴いた後は自由観覧です。

レクチャの様子

レクチャの様子


◆「アンコール・ワットへのみち」とは?
 藤井さんの解説、冒頭は「本展のテーマは、6世紀から13世紀までのカンボジアの石像彫刻の様式の変化。アンコール・ワット遺跡の石像が彫刻美術の集大成・頂点ということから『アンコール・ワットへのみち』というネーミングになった。」という話でした。このほか、様式の変化についての説明や展示の目玉である三体の像の紹介などがありました。
◆目玉はアンコール朝の三体の像
目玉はいずれもアンコール朝の石像。第一は四つの顔と四本の腕を持つ創造神ブラーフマ(梵天)、第二は象の頭を持つガネーシャ(富と知恵の神、商人から人気)、第三は女神として造形したプラジュナーパーラミター(般若波羅蜜多菩薩=大乗仏教の教えによる)です。ところで、なぜ、ガネーシャは象の頭なのでしょうか。答えは、展示室の解説をご覧ください。残酷で悲しいお話です。
◆プレ・アンコール時代とアンコール時代の彫像の違いは微妙
展示室には「これでもか」というくらい石像がひしめき合っています。第1部がアンコール王朝以前(プレ・アンコール時代)の6~7世紀の扶南国(ふなんこく)と7~8世紀の真臘国(しんろうこく)の石像、第2部がアンコール・ワット様式を頂点とするアンコール時代の石像。第3部は、名古屋市博物館所蔵のブッダ頭部2点を含むアンコール周辺の彫像で、第1部、第2部とは全く違う展示物ばかりです。
第1部と第2部の多くは上半身裸の石像で、インド風の豊満な肉体が特徴です。しかし、様式の変化は微妙すぎて、作品の解説を読まないとよく分かりません。ヒンドゥー教、仏教、土着山岳信仰が混じりあっているとのことでしたが、左半身は女、右半身は男という両性具有の石像をはじめとして、めずらしい石像ばかり。「一見の価値あり」ですよ。
◆初めて見る「触地印のブッダ」
 第2部の終わり近くと第3部に「触地印のブッダ」の展示がありました。これは、釈迦が悟りを開いたあと悪魔が悟りの邪魔をしにやってきた際に、釈迦が指先を地面に触れると地神が現れて釈迦の悟りを証明し、これを見た悪魔が退散したという話に基づくそうです。この話は初めて知りました。解説には「タイにおける上座部系のブッダ」との記述。私が大乗仏教系の仏教徒だから知らなかったのかな?
◆スタンプラリーも
 会場入口に置いてある用紙に「アンコール・ワットへのみち」と「藤田嗣治展」のスタンプを押して応募箱に投函すると、抽選でプレゼントがもらえるようです。迷わずスタンプを押しました。「藤田嗣治展」には、この用紙を持って行きます。藤田展のスタンプを押したら名古屋市美の応募箱に投函し、プレゼントが届くよう祈るつもりです。「アンコール・ワットへのみち」は6月19日(日)まで。http://path-to-angkorwat.com で「アンコール王朝とアンコール遺跡群」の動画(10分37秒)を見ることができます。  Ron.
解説してくださった藤井康隆学芸員

解説してくださった藤井康隆学芸員

春の旅行2016大阪、催行決定!

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor

2016年の春の旅行(大阪方面、国立国際美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、大山崎美術館)は、参加希望者が40名を超えましたので、催行が決定いたしました。多数の会員のみなさま、お申込ありがとうございました。日程は5月29日ですので、参加申込されたみなさまには4月の終わり頃に旅行代金支払いのご案内などを郵送でお届けいたします。しばらくお待ちください。    
事務局

名古屋市美術館 「FOUJITA」上映会と小栗康平監督の講演会

カテゴリ:記念講演会 投稿者:editor

4月28日に開会する「生誕130年記念 藤田嗣治展 ―東と西を結ぶ絵画―」のプレイベントとして開催された映画「FOUJITA」の上映会と小栗康平監督の講演会に行ってきました。
往復ハガキによる申し込みに当たった人だけが入場できる完全予約制ですが、午前11時30分から入場整理券配布というので並びました。しかし、整理券配布時に並んでいた人は約50名。「座る席にこだわらないので、上映会開始間近に来てもよかったな。」と、ちょっぴり後悔。
上映会終了は午後3時10分頃。午後3時20分から午後4時40分頃まで小栗康平監督の講演。映画「FOUJITA」のパンフレット販売と小栗監督のサイン会が続きましたが、それには参加せず名古屋市美術館を後にしました。

◆映画と講演会の内容など
 分量が多いのでテーマを絞って講演の概要を書き、必要に応じて講演の概要に対するコメントや映画の内容を付け加えました。なお、映画のシーンやセリフの内容は記憶に頼っているので正確ではありません。また、講演の概要の(  )書きは、私が勝手に付け加えたものです。

1 映画制作に至るまで
○講演の概要
藤田嗣治も、また、遺産を相続した君代夫人も作品の著作権管理に厳しい人だった。特に、戦争画の取り扱いがデリケート。また、面白おかしく作るには格好の素材なので、今まで、なかなか映画制作の許可が下りなかったが、ある人が許諾を得て私のところに話を持ってきた。
藤田嗣治のエピソードは、それなりに知っていて「騒がしい人、話題の多い人、自己顕示欲の強い人」という印象だった。話を持ちかけられたときは、「あのフジタ?」という思いだったが、調べていくと、とても単純な人だと分かった。何よりも勤勉。子供っぽくて、有名になりたい人。絵の世界では「画狂」、様々な挑戦をして絵を描き続けた人だと思う。

2 「つながりが分からない」という、映画に対する感想について
○ 講演の概要
絵の場合だと、リンゴの絵を見て「食べられるかな?」と考えることはない。絵の中と現実の世界とは別ものだと分かって鑑賞しているからだ。
しかし、映画だと行為と言葉が結びついて物語が作られることで、現実の世界と錯覚する。現実の世界では「それが有用かどうか」の判断は(生きる上で)避け難いが、映画に「有用性」を持ち込むと映画の根本が奪われてしまう。映画表現は「有用性から離れる」ことが大切。
今の観客はTVドラマで悪い癖がついており、「物語に結びつかないもの」には反射的に「わからない」といってしまう。映画のベースは「物が映っている」こと。
なお、映画「FOUJITA」は、今まで撮った6本の中では最高の仕事だと思う。

3 戦争画について
○ 講演の概要
敗戦後、マッカーサー司令官の指示で戦時中に描かれた戦争画を集めることになった。この時、日本側で担当したのが藤田。その後、アメリカ内部で戦争画がプロパガンダか、芸術かで意見が分かれ結論がでないまま、戦争画はアメリカに持って行かれた。
その後、戦争画は展示されないままアメリカの倉庫にしまい込まれていたが、1970年代になって永久貸与という形で日本に返還され、東京国立近代美術館が収蔵している。映画で取り上げた《アッツ島玉砕》は「反戦」か「戦争協力」か、時代によって評価が違う。
アッツ島は、日本が初めて経験した「負け戦」で、陸軍はこれを「玉砕」つまり、「玉と散る」と美しく言い換えるキャンペーンを行った。藤田嗣治は、このキャンペーンの下で《アッツ島玉砕》を描いた。藤田が公式に発言していることと、絵は分裂している。映画でも「絵を描く藤田」と「社会人としての藤田」は錯綜している。
戦後、藤田は戦争画を描いたことに対する批判に怯まなかった。それは、背後に猛烈な孤独感を抱えているヨーロッパの競争社会で学習してきたから。多くの戦争賛美詩を書いた高村光太郎が、戦後、田舎に引っ込んでしまったのとは好対照。
 Ron.