2015年秋のツアーで

カテゴリ:旅ジロー 投稿者:editor

 和歌山と堺の旅行はとても楽しい旅だった。いろいろなことがあったけど、こんなこともあった。それは堺市博物館のボランティア解説者の話。堺市の歴史の終わり近くに、フランシスコ・ザビエルが出てきて、ザビエルはポルトガル人との解説。終わってからザビエルはポルトガル人ではないと言ったところ「博物館のマニュアルにそう書いてあるから仕方ない」と居直ったような返事。あきれかえってその後堺市博物館に質問を送ったところ、下記のような答えが返ってきた。

当館ボランティアの解説につきまして、疑問を持たれた件でお答えいたします。
ザビエルの来歴につきましては、ご指摘どおりです。
なぜ、ボランティアがこのような解説をしたか、調べてみましたが、
おそらく、マニュアルの次の記載を誤解したのではないかと思います。
これは、鉄砲についての解説です
・真偽は不明ですが、『鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来は天文12年8月25日 (旧暦)(1543年9月23日)の出来事で、大隅国(鹿児島県)種子島西之浦湾に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」(フランシスコ)、「喜利志多佗孟太」(キリシタダモッタ))の2人が鉄砲を所持しており、・・・
と記載しています。これを誤解して解説してしまったかと思います。
この件に関しましては、当館ボランティアに周知し、訂正するとともに、
引き続き研修してまいります。
このたびは、ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。
今後も堺市博物館に対するご意見、ご指導をお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

 名古屋市美にもボランティアさんが大勢いるが、こんな不遜な態度を取るひとはいないと思う。ちなみにフランシスコ・ザビエル(スペイン語の発音ではハビエルに近い)はこんなひとだった。ポルトガル王ジョアン3世に派遣されて日本に来たのだが、ピレネー山脈の西の方にあったナバラ王国の貴族のひとりの息子。現在でもパンプローナの近くにハビエル城(ザビエル城)は残っている。ナバラ王国はフランスに付いてスペインと戦って敗れ、フランシスコはパリに逃れてイグナチウス・デ・ロヨラと共にイエズス会を作ることになった。人種的にはバスク人だったからバスク人かあるいはナバラ人、ナバラは現在の国ではスペインに属しているからスペイン人か。ともかく、ポルトガル人とは言えない。そのボランティアさんの名誉のために付け加えれば、とても勉強していて熱心で気合いの入った解説、だからこそ自分は間違っていないと思い込むのだろう。
UN VAGABOND

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