ボストン美術館の日本美術コレクションはなぜ仏教美術から始まるのか

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor
 

「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号「縄文土器論」。ミニツアーの翌日、偶然東京国立博物館でこれを紹介された。日本美術史の研究者には常識かも知れないが、ボストン美術館のミニツアーで、コレクションが仏教美術から始まっていることに非常に違和感を覚えていた*。そう、岡本太郎が1952年に火焔土器を”芸術品”と言うまで、考古学的な価値はあっても、縄文土器は美術ではなかったのだ。岡本太郎のおかげで、現在の日本美術史の教科書は、この火焔土器あたりから歴史が始まっている。

明治維新の際の武家階級の没落や廃仏毀釈や日本的なものの否定で、日本の芸術作品は破壊されたり燃やされたり売り飛ばされていた。そのようなときに日本的な美に気付いて守ったのが、ブルーノ・タウトとウィリアム・スタージス・ビゲローだった。彼らがいなかったら失われてしまった素晴らしい日本の芸術作品がどれだけあったのだろう。流出を惜しむばかりでなく、守ってくれたことに感謝もすべきではないか。

大森貝塚の発見者エドワード・S・モースもビゲローと親しかったはずだが、縄文文化の土器を美術品と認めていなかったようだ。彼らもその当時の日本美術史の常識に捕らわれていたのだろうか。前述の火焔土器は我が国が世界に誇れるものだが、縄文時代の日本列島のどこにでもあったわけではない。現在発掘されているのは、新潟県長岡近辺や信濃川・阿賀野川流域だけである。これらの作品は、海外からの影響なく生み出されたもので、約4,000年から5000年前のその当時の世界のどこを見ても、このように素晴らしい焼き物の芸術作品は見当たらないのである。

*実際には、ボストン美術館は縄文時代や古墳時代の美術品も、数は少ないものの収蔵しているそうだ。

旅ジロー

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