ガチャガチャ戦記 2

カテゴリ:アート見てある記,ボギー鈴木 投稿者:editor

 現在、名古屋ボストン美術舘で開催されている、ボストン美術舘「日本美術の至宝」展は連日大盛況だそうです。協力会のミニツアーで7月1日に行きましたが、特に絵巻物のコーナーで渋滞するため、まずそこを観てから他の展示に行くのが良いのかもしれません。

 そして展示もさることながら、私の気になるのがガチャガチャです。今回のガチャガチャは2グループに分かれていて、屏風、絵巻のグループと掛け軸のグループで各8種類、合計16種類。1個300円。全部集めるには時間とお金が必要ですが、難敵であればあるほど燃えてくるものです。私のガチャマー魂に火が着きました(笑)。東京展で既に3個ゲットしていた私は、ミニツアーでガチャガチャを再開。しかし、すぐに誤算に気づく。以前に豊田市美術館でのフェルメール展で協力してくれたTさんは、ガチャガチャなど目もくれずに展示に集中(それが普通)。ガチャガチャの女王の異名を取るMさんも今回は不参戦。のっけからガチャガチャ友の会は崩壊した。私は一人でやり始めたが、既にゲットしている「法華堂根本曼荼羅」を2回連続で出すなど絶不調。チラシにも採用されている、曽我蕭白の「雲竜図」はゲットしたが、屏風、絵巻グループの、狩野永納の「四季花鳥図屏風」がどうしても出ない。それと今回気づいたのは、名古屋の人は堅実なのか、私以外にガチャガチャに熱くなってる人が見当たらない。つまりガチャマー同士で、持ってない物を交換する、通称「お願い作戦」も使えないのだ。そこで、私は気分を変えて、掛け軸グループに挑む。これは3連続で違う種類ゲットと滑り出しは上々。

 結局、その後は名古屋ボストンに行ってないので、残りは屏風、絵巻グループが1種類、掛け軸グループが5種類といったところ。重複する在庫が7個ぐらい。図録1冊分だ。ボストン展の会期は12月9日までなので、時間は十分あるのだが、やはり無駄をなくすために、作戦を練り直す必要がある。果たして全16種類集めることができたかは、「ガチャガチャ戦記 3」に期待して欲しい。できるかな。

 ボギー鈴木(会員、たぶん)

マックス・エルンスト、フィギュア×スケープ

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor
副田学芸員と一緒に

副田学芸員と一緒に

7月15日、朝イチバンから愛知県美術館の開館20周年記念展覧会『マックス・エルンスト、フィギュア×スケープ』を鑑賞しました。朝早いこともあって人もまばらな中、エルンスト展担当学芸員の副田一穂氏の解説を聞きながら、ゆっくりと鑑賞することができました。

シュールレアリズムの代表的な画家であるエルンストの作品は、具象的、描写的な絵ではなく、抽象的で、少し不可解な造形表現を多用した絵が多く、説明を聞くことによって格段に深く、作品の背景を知ることが出来たことが収穫でした。

チラシや、メディアで紹介されるイメージから、大胆な作品という印象を持っていたエルンストですが、実際に作品を間近で見てみると非常に繊細。絵画的技法も様々使われており(コラージュ、フロッタージュなど)、1つ1つの作品のキャンバス表面のタッチなどからも彼の完璧主義的な職人魂を感じることが出来ました。

解説を聞きながらの鑑賞

解説を聞きながらの鑑賞

文谷由佳里さん、高山葉子さんのコンサート&パフォーマンス

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor
コーラスの響きとともにパフォーマンス開始

コーラスの響きとともにパフォーマンス開始

7月7日、協力会も協賛しているイベント『文谷由佳里さん、高山葉子さんのコンサート&パフォーマンス』を見学しました。名古屋市美術館の吹き上げ構造を利用して、地下1階からコーラスの歌声が響き渡ると、文谷さんが黒のマジックで美術館のガラス張りスペースに迷いなく筆を動かしていきます。不思議な午後のひとときを過ごしました。

YouTube : Black Lines -the Digest of Performance in POSITION 2012

迷いのない筆運び

迷いのない筆運び

その手の先は…

その手の先は…

 

最後には彩色も

最後には彩色も

ボストン美術館の日本美術コレクションはなぜ仏教美術から始まるのか

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor
 

「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号「縄文土器論」。ミニツアーの翌日、偶然東京国立博物館でこれを紹介された。日本美術史の研究者には常識かも知れないが、ボストン美術館のミニツアーで、コレクションが仏教美術から始まっていることに非常に違和感を覚えていた*。そう、岡本太郎が1952年に火焔土器を”芸術品”と言うまで、考古学的な価値はあっても、縄文土器は美術ではなかったのだ。岡本太郎のおかげで、現在の日本美術史の教科書は、この火焔土器あたりから歴史が始まっている。

明治維新の際の武家階級の没落や廃仏毀釈や日本的なものの否定で、日本の芸術作品は破壊されたり燃やされたり売り飛ばされていた。そのようなときに日本的な美に気付いて守ったのが、ブルーノ・タウトとウィリアム・スタージス・ビゲローだった。彼らがいなかったら失われてしまった素晴らしい日本の芸術作品がどれだけあったのだろう。流出を惜しむばかりでなく、守ってくれたことに感謝もすべきではないか。

大森貝塚の発見者エドワード・S・モースもビゲローと親しかったはずだが、縄文文化の土器を美術品と認めていなかったようだ。彼らもその当時の日本美術史の常識に捕らわれていたのだろうか。前述の火焔土器は我が国が世界に誇れるものだが、縄文時代の日本列島のどこにでもあったわけではない。現在発掘されているのは、新潟県長岡近辺や信濃川・阿賀野川流域だけである。これらの作品は、海外からの影響なく生み出されたもので、約4,000年から5000年前のその当時の世界のどこを見ても、このように素晴らしい焼き物の芸術作品は見当たらないのである。

*実際には、ボストン美術館は縄文時代や古墳時代の美術品も、数は少ないものの収蔵しているそうだ。

旅ジロー